季節のアルバム・結婚記念日

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畳替へ終へたる妻が少し老い 玉宗

 12月12日はわが夫婦の結婚記念日。
今から三十五年前、金沢大乗寺で板橋禅師式師のもと仏前結婚式を挙げた。これを機に禅師様には「あんたはいい奥さんを貰ったね」と生涯羨ましがられることになる。式が終って外へ出ると一転俄かに掻き曇り北陸名物「雪起し」が轟いたのを夫婦揃って今も忘れない。これからの二人の人生を暗示していたかの如くであった。

 世間には「結婚は人生の墓場」といった格言だか、厭味だか分からん言葉がある。百歩譲って人生の墓場だとしてもだ。墓場からの眺めも悪くはないぞ、といった感慨も浮かぶ訳である。これは単に強がりではなく、仏道的にも末期の目を自ずから獲得するのだから、ものごとの実相に目覚める機縁でもあろうか。なんて云ったら、出家至上主義にはあり得ないもの言いかもしれないね。

 なけなしの雲水であった私は夫人に結婚指輪を買ってあげれなかった。いつか買ってあげたいなと気にしつつ、未だに財布を叩いたことがない。結婚はしたがちょっとはまともな人間になりたかっただけで世間がうらやむような暮らしをしたかった訳ではない。お金や肩書や権威に振り回されるのはまっぴらごめんであるという矜持は今でもある。そんなわけで夫人は今日まで指輪をしたことがないのだ。夫人が買ってくれと言ったことも一度もない。わが意を汲んでいると思うのだが、指輪より輝くものを欲しがっているようなところがある。

 そんなこんなで結婚ど素人の二人、人生ど素人の二人で生きてきて、それなりにいろいろな事があったし、紆余曲折があった。まさに学びの人生である。能登半島地震では二人一緒に被災し、二人一緒に生き残り、共に生と死を見つめ直す機会になったことは間違いなかった。支え支えられている二人である。家族である。長く僧堂に勤める事が出来たのも、寺族らが自坊を守ってくれていたからだし、なによりも家族を支えなければという思いが私を人生へ押し出す力となったのである。

 震災の前の年に本師が亡くなって以来、僧堂への出仕も辞めて自坊に専念しているのだが、以前にも増して私は夫人への依存が抜き差しならぬほどになっていることを痛感している。一人では碌な事も出来ない禅僧というのも珍しいだろう。年金を貰えるような歳になったことだし、この機にもうすこし自立した夫に立ち返ろうと思わないでもない。

 結婚生活35年、墓場生活35回忌。それは人としてこの世に生まれ、人となるべく様々な事を学んできた月日である。そしたまた、それは一人では生きてゆけない社会的存在である人間の道程でもあった。
今後どのようなご縁の中をいつまで共に生きてゆけるのかわからないが、一期一会の今の命を大事に、仏の方を共に向いて生きている戦友として、些かなりとも人様のお役にたてるよう支え合い、励まし合って生きていきたい。墓守りには墓守の人生がある。誇りがある。見えるものがある。出会いがある。諸行無常がある。成仏がある。

そのような私どもにも、まだ残された仕事がいくつかある。弟子を一人前の仏弟子として育て、一人前の人間として我らなき後の社会へ送り出さなければならないのもその一つ。それこそがわが人生の総仕上げなのかもしれないと思ったりもする。
わが夢を子供に託すと云えば面映ゆいし、弟子にしてみればいい迷惑かも知れない。親子と雖もそれぞれ懸けがえのない、一期一会の命を頂いえている存在。畢竟、祈ってやることしかできないことは承知しているが、祈らずには居れないのも事実。そしてそれが私の生きる力になっていることも事実である。

おそらくそれは夫人も同様であろう。子は鎹とは言ったもので、それは夫婦の鎹だけではなくわたくしどもの生きる力、この世の鎹ともなっているのである。弟子にも又、そのような人生の伴侶との出会いを望むこと切なるものがある。


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煤竹を伐りにふらりと裏山へ

洗はれて清々したる大根かな

散紅葉ふわりと落つる苔の上

北陸のしぐれ混じりや蕪寿し

八手咲き花の結晶なせりけり

沢庵の重石も親の形見なる

暇さうにしてはをられず焚火せる

塩鮭や風もしよつぱい故郷の

伏せ葱の息吹き返す雨もよひ

文机に歳時記一つ冬籠



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「白」

白々と朝の明けゆく霜の花

煤掃に驚き顏の鼠かな

幾山河越えて歳暮の届きけり

大根のついでに樽を洗ひけり

一枚の吹かれやすさよ散紅葉

濡れてゐる八手の花の白さかな

為すことも為さざることも着膨れて

鍋底の空の暗さや能登寒暮

白波の吹かれ吹かれて花となり

窓を打つ音は霰の煤湯かな

湯冷めしてテストパターンを見てゐたる



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