正月寺報

     
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 新年あけましておめでとうございます。
一寸先は闇と言われます。諸行無常なる人生の歩みは、まさに闇を手探りして歩むようなもの。「闇」とは何か?わが思いを越えて展開する生死去来、時節因縁、諸法実相。それをしも人には「闇」と映るのではないでしょうか。

 仏道は、そのような危うい人生の闇を歩む、一つの灯です。無常なる諸法の実相をしっかり見極め、学び、戴き、施し、歩む。それをありのままに生きる仏道人とは云うのです。

 仏の方を向いて生きて行くとは、一寸先の闇の世界を、自己が灯しとなって歩むことにほかなりません。然し実際には、一寸先ではなく、今ここが「闇」であり「光」であり、「闇」でもなく、「光」でもない、なんともないというのが真相です。実相の実相なるがままに生きる。そこには闇も光も本来ありません。

 そのような実相を生きるいのちに絶望はいりません。計り知れないものだからです。自分持ちにしたところでどうにかなるものでもありません。せいぜいが極まりない愚痴に苛まれるのが落ちです。

 いま、ここに、息をしているいのちとはそれほど豊かで、深いものです。私の思いが捉えることができるほど「いのち」とは小さい世界のものではないことに目覚めなければなりません。

虫は闇をわがものとして精一杯鳴きます。虫にとって闇はわが天地です。人も又、火宅がそのまま仏国土ともなります。四苦八苦している今がそのまま「道」の現成です。そこには手付かずのなんともない「いのちの灯」に充たされています。

 仏道というも、そのような自己の灯明を真っ直ぐいただき、掲げて生きてゆくことに尽きるのです。  

 コロナ社会ではありますが、仏教徒である私共にはいつも目に見えない仏天のご加護があるものと信じて疑いません。そのためにも希望を捨てず、今をないがしろにせず、コロナ禍での基本的に守るべきことを守り、平常心でお過ごしくださいます様お願い申し上げます。

今年も皆様にとって日々是好日でありますように。いのち大事に。合掌。



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「初・二十句」
もの忘れだんだんひどいお元日
あらたまの項に纏ふ寒さかな
手すさびに朝飯前の雪を掻く
宵越しの襟元寒き初詣
棲み古りし家に雪積む大旦
雑煮椀夫婦暮らしも手慣れたる
重ね置くことの安心鏡餅
繭玉やきれいな雪のふるやうに
この顔で今年もゆくか初鏡
雪隠の風入れ替はる去年今年
門松やこれみよがしにさり気なく
孫がゐて子がゐて親の初笑
太箸に添へたる父の月並句
坊守のうたた寝にして初寝覚
寒さうな男が通る今朝の春
どどどどと能登の禅寺しづり雪
目出度さに妻が飲み干す年の酒
すぐ止まる一目散や嫁が君
寝過ごして沖へ出てゆく宝船
昨日とはうつてかはつて初景色


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「子」
雪の朝目覚め素直な子なりけり
朝風呂の勿体なさも二日なる
喰積の伊達巻ばかり喰ふ子かな
怖い夢みてせせりな泣く子や団子花
謎解けぬままに初夢失せにけり
書初の出来栄え見せに来る子かな
鏡餅腹の厚みを褒めらるる
竹馬の子がお迎へに来てゐたる
雪達磨だつたやうなる水溜り
おしくらまんじゅう性に目覚めし年頃の
悪い子はゐねがと雪の月あかり
繭玉や眠くなる子の息甘く

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