知足のいのち

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来た道を帰るばかりぞ寒くとも 玉宗

 
「小欲知足」という仏教用語があります。
欲少なく、足ることを知る。これは他人事ではなくわがいのちの戴き方を言っています。現状に我慢しろといった浅い話ではありません。仏道とは言うまでもなく一人一人のいのちの話です。その深さと豊かさ、いわば縦軸の話しです。そこには、ものたりないという思いのままに足りているいのちの充足、なんともなさがあります。

社会的な意義づけを横軸とするならば、個のいのちひとつづつの深み、豊さを掘り下げることによって量り得るいのちの縦軸といったものがあります。生老病死、その時その時の命の実物があります。六根清浄なるいのちの働きがあります。ひたすらなるそれそのものの光りがあります。なんともなさがあります。このような自己を徹底深め、寄り添うことで見えてくるいのちの真相があります。

「知る」とは「自己を生きる」と同義でなければなりません。単なる知識や頭の中での話ではありません。あってはなりません。いったい自己以外のだれがわが命の「足、不足」を知り得るでしょうか。いのちそのものにとって、もの足りないなどといったことは大した問題ではないし、命は一度も迷ったことはありません。絶望とは手を替えた執着の別名でもあります。欲の多少も然りです。

仏法に奇特なし。平常心是道。どこまでも自己が自己を真っすぐに引き受けることにほかならないのです。自己の器に収まるのは自己のみです。寒くとも辛くとも天下一品のわが命を引き受けて生きて行くばかりです。知足のいのちを生きる、それを精進とも言います。  〈 法話集『両箇の月』より 〉



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「あの子」
逃げ惑ふあの子愛しや雪礫
これ以上びくともせざる雪丸げ
おしくらまんじゆう餡子のやうな子がひとり
竹馬に見たる地平のつまらなく
綾取りの負けざる母を奪ひ合ふ
縄跳びの波に浚はれ嫁にゆく
団欒の灯り漏れくる雪兎
夕星に取り残されし雪だるま
暮れてゆく空のあかるさ鴨の声
欄干は風の渚よ都鳥
なまはげに抱かれ火のつくやうに泣き
天上に別れの宴風花す




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「野晒し」
貶されも褒められもせず着膨れて
遺憾なる浮名もむかし懐手
日差し伸び臍が痒くてならぬなり
迸る尿うつくしや雪野原
野晒しの閼伽も氷るや地蔵尊
水仙の気ままゆるさぬ香なりけり
青雲の跡形もなく手足荒れ
寝て覚めて夢をうつつと冬籠
鶏交み太陽生まれ変はりけり
春を待つこころを燠に眠るかな


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