「新到さん、いらっしゃ~い!/その1・大きな声で存在を知らしめる」



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新到の荷を枕辺に朧月 玉宗

宗門には本山のほかに日本国内や海外にもいくつかを合わせて三十ほどの修行道場がある。僧堂とも叢林とも呼ばれる。叢林とは樹木が叢がっている林という意味だが、修行僧が和合して一つの所に住んで、樹木のように静寂にまっすぐ修行に励んでいる場所を意味している。禅林とも栴檀林などとも称される。

僧堂は修行仲間と共に向日的にまっすぐ精進するところでもあり、それは「競争」ではない。宗教的実践は世の競争とは程遠いものだ。自己を確立し、自己が自己に落ち着くことにおいて競争するべき他者というものは必要としない。
「群を抜けて益なし」とも言われる世界。大衆・和合衆・清浄大海衆ともよばれる雲水仲間との共同生活での他律の眼があってこそ、仏の道を曲がりなりにも歩むことができるのが実際のところである。

 僧堂はお坊さんとは何かとを常に問い続ける場所でもある。僧堂は誰の為に、何の為にあるのか?それは本来、道を求める者の為にあり、道心を芽生えさせるために存在しなくてならない。

正面には「選仏場」と揮毫された額が掲げられている。「仏を選ぶ場」「仏に選ばれる場」「選ばれた仏の場」という意味だ。
 わが宗門にあっては、これから成仏するのではなく、又、成仏せんがための坐禅ではなく、成仏している自己に目覚め、出会い、行ぜんがための坐禅であり、修行であり、平常心であるところが特色。坐禅堂とはそのような自己との出会いの場でもある。

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 世間でも二月は職場の移動や学校での別れ、旅立ちなどの助走が始まる。僧堂でもやはり二月中旬頃冬安居が解けて、乞暇送行する雲水と上山する雲水が出入りしてお山が少し騒めく。さながら鶯が里に下りて来て囀り始めるような活気とでもいうような。

 宗門では、今春に上山する新参の雲水さんを特に「新到・しんとう」さんと呼び習わしている。入門の儀式は型に嵌ったものであるにしても、中々新鮮なものである。僧堂を参拝された折、偶然にご覧になった方もいるかもしれないが、結構度肝を抜かれるらしい。

どこの社会でも同じかもしれないが、試用期間があるし、事前通知はしているものの、上山を正式に認められるにも幾つかの関門がある。同じ禅宗に括られてはいるが、曹洞宗と臨済宗では修行体系は勿論、その第一関門も又趣が違っている。

 曹洞宗にあっては先ず、正式な上山の衣装姿で山門頭に立たなければならない。僧堂律に則った衣装であるかどうか、その点検を前もってさせられる。昔は、基本的な身のこなしや、着付けが出来たうえで師匠も送り出したのだろうが、時々着付けも満足に出来ないまま上山される方もいる。本人も本人なら、師匠も師匠であるが。現代ではそんな基本的なことも含めて、一切合財、お坊さんのいろはを僧堂は教えるところである、というコンセンサスが宗門内にはあるらしい。

 僧堂は学歴に応じて安居期間が定められており、それによって僧階の資格を補完することが出来る仕組みになっている。まあ、そんなことは入ってしまえばどうでもいいし、問題にもならない。馬子にも衣装、着せられたぎこちなさの中で、山門頭、或いは所定の位置に立って木版を打ち、続いて大きな声で上山を報せる。

「しんとうよろしゅう~!」
「しんとうよろしゅう!」
「しんとう、ならびに、めんかたよろしゅう!」 (新到、並びに、免掛搭宜しう)

二度三度と全山に響き渡る声を挙げても、直ぐには取り次いでもらえない。一時間以上待たされることもある。その間、新到さんは所定の位置から動いてはいけない。誰かが何処かで見ている、という強迫観念の中でピクリともできない時間が過ぎてゆく。脂汗がでるような、死ぬほど長い、意味のない時間が過ぎてゆく。最初の拷問 、否、試練である。

「来なければよかった・・・」

そんな悪魔の誘惑に駆られることもある。そうこうしているうちに眠気もさしてくるし、参拝客の視線も気にならなくなり出した頃、どこからともなく、古参のお坊さんが対応に出てくる。

「どう~れ。当山に何の御用向きでしょうか?」
「しんとうよろしゅう!」
「何しに来られたのですか?」
「修行しに参りました!」
「修行とは何ですか?!」
「・・・・・」
「御開山のお名前を言えますか?」
「・・・・・」
「ご開山も知らないで、修行させてくれと?」
「しんとうよろしゅう」

とかなんとか、きりも埒もない問答を繰り返していてもしょうがないので、頃合いを見計らって、今日のところは勘弁して貰える。足を洗う水が用意され、やっと草鞋を脱がして貰うことができる。先ずは大きな声を張り上げて存在を認めて貰うことができた訳だ。

この後、今晩一晩は泊めてもらえるが、明日の朝には追い出されるという意味を持つ「旦過寮・たんがりょう」へ通されることとなるのである。 私見ではあるが、正式に安居を認められるまでは「お客さん」扱いであるのが基本であろう。勿論、「お客さん」の扱い方は僧堂によって様々であるのは云うまでもない。
以下続く。

〈 エッセイ集『拝啓、良寛様』より  一部補正

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「坊守」
坊守の朝始まれり雉の声
而して妻と二人の春炬燵
三寒を四温と仏暮らしかな
ものは試し蕗の薹でも取つて来よ
ふり向けば一人旅なり春の虹
紙風船叩けば凹む音すなり
山寺は片栗の葉を食らひけり
木漏れ日にまだ棘のある春子かな
蹲に丸く浮きたるうすごほり
暮れてゆく寺の灯しに残る雪




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「風岬」
鳥雲に風に破れし捨て番屋
潮騒や最果ての地の洲浜草
鱵舟遠ちに娑婆捨峠より
灯台の沖は大陸藪椿
蓬摘む風の岬にへばりつき
峠路の風に慄く黄水仙
外浦の沖ゆく風の山菫
暮れてゆく波の音にも雁供養
雁風呂や猿山岬風岬
北前の湊を今に朧月

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