新到さん、いらっしゃ~い!/その2・じっと我慢の子であるべし



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少しづつ頭よくなる木の芽どき 玉宗

 立ちッぱなしの苦行から開放されて「旦過寮」に通される「新到」さん。思わず心の中で「やれやれ」と安堵する。

然し、まだ正式に安居を許された訳ではないので、「暫到・ざんとう」さんとも呼ばれる立場であることを忘れてはいけない。お客さんでもなく、身うちでもない、変な感じ。「おい、ざんとう!」なんて呼ばれた日には、「俺って、罪人?」と勘違いさせられてしまいそうになる。
案内される途中に旦過寮に並んで「延寿堂・えんじゅどう」と書かれた部屋があることに気づく。「延寿堂」とは「病僧」のための養生部屋である。謂わば、病気や怪我で修行に差し支えがある雲水さんの隔離病棟である。頼んだ訳でもないのにそんな部屋の説明を受けた新到さんは堪ったものではない。

「えっ、病人になるまで過酷な修行をするわけ?」

 部屋に入ると古参和尚から旦過寮での心得が指示される。
坐禅の仕方、経本の持ち方、合掌の仕方、袈裟の畳み方、応量器の使い方、食事の仕方、お代りの仕方、東司(便所)の使い方、歩き方等など、数え切れないほどの指示が出される。その口調がいやに丁寧なのが気になる。何か企みがあるのでは・・・と疑心暗鬼の中で、半分は上の空で聞いている。質問などもってのほか。合掌して聞いていなければならない。

僧堂によって上山する新到さんの数は違う。大本山になると毎日十数人も上がって来て、旦過寮も鮨詰め状態になりかねないが、地方の専門僧堂では、受け入れる側の都合もあり、期間中は一人、二人づつの対応になることが多い。
私が最初に安居した瑞応寺専門僧堂では、同じ日に私を入れて三人が上山した。一分先に上がっても先輩になるという封建社会でもある僧堂。年齢、職業、出来のいい悪いに関係ない前後左右上下関係の始まりでもある。
 一晩だけは泊めてやるというのが本筋の旦過寮であるが、追い出されることもなく、改めて山門頭に立ちつくすこともないというのが曹洞宗の風習である。
ということで、旦過寮で過ごすのは実質四、五日から一週間というのが通常。その間、何をしているかといえば、古参和尚からの指示通りに過ごす。「起床、洗面、坐禅、朝課、小食、掃除、坐禅、日中諷経、中食、坐禅、晩課、薬石、坐禅、就寝」おそらく、どこの僧堂でも基本的にこのパターンに倣っている筈である。
 旦過寮では会話が出来ない。旦過寮もまた三黙道場となる。時間的に言って「坐禅」の時間が圧倒的に長い。中には、今まで坐禅などしたことがなかったという新到さんもいるだろう。正座さえしたこともないとか。お経を覚えることにも苦労するが、毎日坐禅をして無為に時間を過ごすということは、有難くもあり、有難くもないというのが実感ではなかろうか。
ときには坐禅を身につけてくるつわものもいるが、少数派であり、年齢的に嵩を増している方が多い。坐禅は身についているに越したことはないがつき過ぎても碌なことがない。何事も過ぎたるは何とかで、鼻につくような坐禅は単なる慢心にすぎない。
 そんな坐禅は初心者には痛いことは痛いが、痛いながらに退屈な時間になる可能性が大いにある。肉体的苦痛だけではなく、人にも言えない、自分でも恥ずかしい妄想が次から次へと湧いてくる。
「逃げ出そうか・・・」
なんていう魔が差すことも一度や二度ではない。そのうちどうにもならない現実を受け入れざるを得ないことに気づく。そして、妄想にも飽いて睡魔に襲われだす。死ぬほど退屈な時間と格闘しなければならない。
「おれ、なにやってんだろう?」
みたいな、意味のない存在感に苛まれる。ことほど左様に、これまで好き放題、勝手気まま、やりたい放題、頭でっかち、思いを引きずり引き摺られ、自己中心の狭い世界に生きてきた人間が、身にも口にも心にも、じっと我慢の子であることを学ぶ。なんともない世界の扉の前に立たされている不安感と期待感と孤独感。坐禅がぐらぐらするように、「行」の中で揺れ動く新到さんなのである。すでに尊い修行は始まっている。
(以下、続く)
  〈 エッセイ集『拝啓、良寛様』より 一部補正 〉



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「扉」
春風にひらく心の扉あり
裏山は目覚めの早き木の芽かな
佐保姫に唆されし男たち
夕鴉群れ鳴く獺の祭かな
もの足らぬままにぶらんこ漕ぎ出しぬ
忘れたる如く一輪落椿
いかのぼり岬の風にくるくる舞ひ
方舟に乗り遅れたるスワンかな
鳥帰る淋しらの首差しのべて
かりがねの空に声せし別れかな


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「ちりちり」
金もなくふらふら梅の咲く方へ
沈丁のくんくん花のゆふまぐれ
せせらぎのきらきらしたる猫柳
三椏のぽんぽん花の煙りかな
辛夷咲きざわざわ杣の山暮らし
まんさくのちりちり山の日に焦がれ
白梅のうすうす香る日の光り
パンジーのひらひら蝶になりたがり
木漏れ日のひやひや春の椎茸に
蕗の芽のそろそろ顔を出さうかと









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