祈りのかたち

花はみな祈りのかたちうららけし 玉宗 「願わくばこの功徳を以て普く一切に及ぼし 我らと衆生とみな共に仏道を成ぜんことを」 わたしはお通夜の説教の最後には必ず出席者に手を合わるようにお願いして上述の短いお経文を唱える。「普回向」と呼ばれるもので、どの宗派でも通用するものである。「ことを」で終わっている文脈か…
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小さなお葬式、大きなお世話・再考

龍淵に潜み火宅に灯が点る 玉宗  昨今、SNSは勿論のこと、マスコミ上に「小さな葬式」という宣伝広告が目に付き出した。「安く、費用がかからない葬儀」を「提供」する「業者」。お坊さんへの「お布施」もその削減すべき費用の項目に入っていて、当然のように僧侶一人で法要を執り行う。それに応じるお坊さんがいる。「直葬」「家族葬…
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季節のアルバム・能登半島地震の日

震災を共に生きたるさくらかな 玉宗 3月25日は興禅寺が全壊した能登半島地震被災から14年目。 当時、私と夫人は五十代に入ったばかり。お互いまだまだ若いつもりで暮らしていた。成り行きとはいえ、再建への思いも自然に湧いてきて年齢のことなど考えもしなかった。 再建できるという確信などなかったが、「なんとかな…
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托鉢の風景・その6

犬も食はぬ時の過ぎゆく桜餅 玉宗 三十年以上托鉢をしているので、輪島市内の路地を裏の裏まで知り尽くしている。夢にまで出てくるほどだ。これってやばくない?と思うこともある。犯罪者に手引きを頼まれたら強力な後方支援者となるに違いない、って妄想もしたりする。まあ、それは冗談だが、お坊さんを引退したら郵便屋さんでやって…
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托鉢の風景・その5

蕗の薹次々土手を越ゑゆけり 玉宗 ランナーズハイ(Runners High)という言葉がある。マラソンなどで長時間走り続けると気分が高揚してくる作用で、ランニングの途中で苦しさが消え爽快な気分になるらしい。脳内にエンドルフィンという物質ができて、気持が良くなるのだという。走り続けて、ある限界を超えるとその後はこの物…
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出家の本懐

鳥雲に仏弟子といふ旅人に 玉宗 彼岸の中日。今日も大本山總持寺祖院の法要に随喜した。 三日間に亘って執行される春彼岸会法要。開山二祖国師諸大和尚への嘆仏による献飯諷経。永代祠堂追善供養。旧納骨霊位供養と続き、塔婆供養となる。了而、法話。 今年は我が弟子がその役に当たっていた。 僧堂では「維那補」という配役…
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托鉢の風景・その4

托鉢のみな仰ぎゆく花杏 玉宗 托鉢をしていて犬に苦労したお話しをしたが、実は犬よりもっと厄介な動物がいる。 それは純真無垢と云われている「キッズ」である。正直なところ彼らが天使ではなく悪魔の使いに見えることがある。生来的には愛らしいが、ときに辛辣であり、残酷であり、挙げ句の果ては当てにならない。 下校時間な…
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托鉢の風景・その3

梅を見てゐる場合ではないのだが 玉宗 托鉢をしていて困ることがいくつかある。そのうちの一つ。それはトイレである。 出掛ける日は朝から水を余り飲まない様にはしているが、それでも冬場は半日も経てば尿意をもよおし、下半身が先行して歩き出す。夏は夏でがぶがぶ水を呑まなければ、熱中症で倒れないとも限らないし、年齢的にも…
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托鉢の風景・その2

僧一人木の芽山より下りて來る 玉宗 托鉢は遊びではない、というお話し二つ。 「方丈さんは俳句をしているんだから、托鉢しながら一句が浮かぶんだろうね。いや~ 風流なもんだね。」 確かに俳句手帳を袖に潜ませて歩いていた頃もある。しかし、今ではそんなこともなくなった。能登半島地震復興勧進托鉢ではそんな余裕…
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托鉢の風景・その1

雪解けて壁に窶れし頭陀袋 玉宗 托鉢をしていると様々なものをいただく。基本的にはお金をお布施して頂くのだが、偶にお米。特に農家では玄関口に立つと米櫃から椀や升に一掬いして頭陀袋や専用の袋に入れてもらったものだ。米托鉢を目的に歩く場合はその用意もしてゆくのだが、忘れて出かけたりなぞすると、頭陀袋一杯に何キロものお米を…
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参道補修作務

如月やときどき妻に叱られて 玉宗  お寺の庫裏の玄関に続く参道(短いながらも・・)には飛石がべてあるのだが、隙間があって参拝者の歩行に不便であることあきらか。ということで、試された方もおられるかもしれんが、雑草対策をも兼ねた「固まる土」を使用して補修することにした。 この手のことは私より夫人の方が余程蘊蓄もあ…
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永福寺の桜

震災を共に生きたる桜かな 玉宗 永福寺の桜・染井吉野が輪島市の『景観重要樹木』に指定された。 写真は十年ほど前のものだが、ここ数年花数も少なくなって、風前の灯感を漂わせていたので、世代交代の若木を植樹しようかと思案していたところに今回の市役所からの誘い。夫人の要望もありご提案を受け入れた次第。 この…
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草摘みのこころ

草を摘むほかに用事もなかりけり 玉宗  蕗の薹を摘みに總持寺祖院の裏手にある小川べりをあるいた。谷川べりの山気はまだ頬に冷たい。  蕗味噌にするには薹が立ち過ぎてもいけない。開くか開かないかの蕾が良いようだが、それを見つけるのがなかなか難しい。というか、タイミング、出会いだね。お山の恵みを戴くのだから盗人根性丸出…
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苦楽の種?!

パンジーの裏が表であるやうな 玉宗 「人生に苦労の種は尽きない」というような言葉をよく耳にします。 この世に生まれ、ひとり立ち出来るまでは勿論のこと、家族や社会人として生きてゆくことの中にも数え切れないほどの「苦楽の種」が現れます。 然し、本来「種」には「苦楽」の色など着いていないのではないでしょうか。 …
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海の記憶、空の記憶

海の記憶空の記憶や三月来 玉宗 玉宗 三月である。 一般社会では卒業、入学、進学、就職、転勤、退職等々、出会いや別れがあり、期待と不安にゆれ動きながらも、いずれもが新しい日々への飛躍の一歩である。修行道場である僧堂でも送行する者と上山する者が山を出入りする。 そして、三月は震災の記憶が蘇える季節でもある。 能登半…
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「寺報・三月号」 法輪山興禅寺/鳳来山永福寺 

「寺報・3月号」 法輪山興禅寺/鳳来山永福寺      私はよく「越える」という言葉を使います。 例えば「煩悩を越える」と言った場合、煩悩を一方的に否定するのではなく、かといって肯定するのでもなく、先ずはその煩悩なるものの実体を見極めることが大事です。 煩悩と向き合い、その正体を明らかにすることから「越える」という飛…
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