葬式仏教批判の行方



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供へたる樒も花となりにけり 玉宗

葬式仏教という言葉は、現代の仏教やお坊さんを揶揄するのに使われているのには違いない。それは、葬式しかしない仏教、お坊さんという意味であり、ひいては仏教本来の意義を見失った仏教という意味なのであろう。

江戸時代初期、幕府の宗教統制策によって、寺請檀家制度が設けられだ結果、仏教が変質し、葬式仏教になったといい、明治五年、神道復興の時勢に便乗した時の政府が仏教界に制約を加え、肉食妻帯も許し、国事に参加することを禁じ、祖先崇拝と葬儀だけをしていればいいという布告も、葬式仏教に大きな影響をもたらしたというものである。宗教学者・正木晃氏はその著作の中で「葬式仏教の正しい由来」と題し、その由来はもっと古く、かつ深いものであるとしている。

氏によると、平安・鎌倉時代の大寺院では葬式は行われていなかったという。彼らは「官僧」と呼ばれる国家公務員であり、加持祈祷を専らとし、国家の安泰を保障するのが任務であった。そのため死穢を極端に嫌い、葬式を行うことなどもってのほかだった。寺内で僧侶が病死することすら忌避し、臨終間際の病人を境内から外へ放り出したという話しすら伝わっているという。僧侶が積極的に葬式に関わるようになったのは室町時代。それには、旧来の国家仏教が没落し、代わって台頭してきた禅宗の広まりがあったのだという。戦士であり、常に死を意識せざるを得ない武士階級に、禅宗の荘厳な葬式が受け入れられた。

その後、すべての宗派が葬式に関わるようになり、武士階級だけではなく、広く民衆にも及んでいった経緯がある。葬式仏教がひろまる以前、死者を弔う儀礼は一族の長が掌握していた。それが僧侶が代行し、専門となって行ったのには、葬儀式の荘厳さが人々を感動させた現実も見逃せなかっただろう。このようにして、葬式仏教が成立したのは、室町時代後期から戦国時代の頃だという。江戸幕府の寺請檀家制度によってそれが固定化されはしたが、その由来そのものは、かなり時代の遡ることだったのである。そして、注目すべきは、葬式仏教によって、仏教が民衆の間に広まっていったという点である。葬式仏教が定着した江戸時代はまた、仏教がほんとうの意味で日本人の精神世界に定着したときでもあった。

本来の仏教というものが時代に先行してあったのではなかったということ。これはどういうことか?形式の由来よりもっと大切な事実がある。それは、死者を悼むという行為は、人間性の原点であり、宗教の原点でもあるということ。その意味では、葬儀は人類の貴重な行為であり、断じて軽んじられていいものではないと正木氏は言い切る。氏は現代社会の、葬式仏教という批判を正論ではあるが、反論の余地があるものとして以上のような弁を進めている。

しかし、それは決して、本来の仏教を顧みず、拝金主義の片棒を担ぐお坊さんを弁護しているのではない。死者を悼む人間の真心、葬儀という魂の器、そのような貴重な行為の発露を絶やしてはならないと警鐘しているのである。いのちの現場で志をもって生きている仏弟子であることになんら恥じ入ることはない。〈 エッセイ集『拝啓、良寛さま』より 〉



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「人」
達治忌の夢追ふ人やわれは星の子
清明や花は光りをきそふかに
はくれんの光りざはめく一樹あり
青き踏む人を恕すに手間取りて
囀りやそろそろ雨の上がりさう
行儀よく咲いて嬉しきチューリップ
人肌の恋しき雨の木の芽かな
嘘ついてごめんなさいとてふてふが
寄する波引く波春の調べなる
花冷や人に会ひたくなる夜空


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「回光」
うち寄する波の音にも雁供養
山裾は目覚め早きよ花山葵
春風やわれはいづこの馬の骨
筆立に爪切りのある遅日かな
供花となり光り回らす樒かな
墓石の裏も墓石鳥雲に
垢ぬけし床屋の親爺花ミモザ
菜の花におねしょの蒲団干されあり
しづけさや冷えゆく花のゆふまぐれ
屋根裏の窓に星降る猫の恋

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