行雲流水の生き方

雲のこころ水のこころや五月來る 玉宗 「雲水」という言葉は「行雲流水」又は、「雲心水意」の略である。 「雲衲霞袂」とう言葉もある。禅の修行者のことを「雲水」と呼ぶが、行く雲流れる水のごとき自在な境地であらねばならないというところからきている。逆に、留まるということは執着するということに他ならず、理想的には身心の束…
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山親父の思い出、そして・・草摘み。

故郷は親父も穴を出るころぞ 玉宗  輪島市下山町の山中に熊が出たということで、能登半島にもついに熊が出没することになった。水芭蕉の群生地のある辺りで、先日、夫人と弟子と三人で訪れたばかりである。( ゚Д゚) 猪捕獲用の檻?に入っているところを地元の猟友会の方が見つけたらしいが、仲間を呼びに行っている間に檻を壊して…
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言ひおほせて何かある?!・再考

花に冷え言葉足らずを悔いにけり 玉宗 季節外れではあるが、小林一茶に次のような句がある。季語は「蕎麦の花」で秋であろう。 しなの路やそばの白さもぞっとする 一茶 金子兜太先生はその一茶に関する著書の中で、この句から蕎麦の白い花から雪に難儀する故郷への思いがあった。世間では雪の白さに面白がっているが、…
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今日の以心伝心・親のこころ子のこころ

鳥雲に仏弟子山に入りにけり 玉宗 僧堂では冬安居の制中も開けて、雲水さんの春の送行、上山など解合の風景が門前でも垣間見える時季となった。 不安と希望を抱いての送行であり上山である。弟子も10年目の僧堂安居を迎えようとしている。ついこの間、上山したように思い出されるのであるが、間違いなく彼自身の掛け替えのない歳月を経て…
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燕の思い出

つばめつばめ空の扉の開くる日ぞ 玉宗 四月に入って間もなく今年初めての燕を目にした。 庫裡と本堂の窓を開け放って夫人と共に朝の掃除をしていたときである。慌てて閉めたが中に入った後だった。窓に体当たりして死んでしまうことがあるので、裏と表に通じるように窓を開けて置いた。 そのうち壁や窓にぶつかることもなく外…
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記念写真って、どうよ?!

神妙な記念写真に納まる四月 玉宗  先日4月6日に行われた大本山總持寺祖院震災復興落慶法要での記念写真である。大祖堂前の階段を雛壇として前列から錚々たる宗門のお歴々が並んでおられる。元より身の程を知らぬ訳ではないので、当初は記念写真に入るつもりもなかったのだか、なんだかそれも慢心のなせる業のような気がして、流れ…
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魚の貌・人間の顔・仏の相

      子を攫ふ顔し風船売る男 玉宗  嘗て、俳人・加藤楸邨は魚の貌が真面目であることに感心しているような文章を書いていた。魚の顔の真面目さに比べて、人間は少し真面目さが足りないのではないか。つまり、それは真摯に生きる姿勢の不徹底さを衝いているのであろう。如何にも人間探求派と呼ばれ、真実感合を唱えた楸邨の面目躍如…
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末世の比丘

堅香子の花に木漏れ日五合庵 玉宗            宗教の本質が改めて問われている時代になっていると指摘されて久しい。お坊さんが無自覚に流されてきたことが現代人に疑問視され始めているという文脈の中の話しなのだろう。お葬式や法事だけがお坊さんの役目であった時代が終わろうとしている。葬儀を取り上げてみても、それは宗教行事で…
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有縁無縁に囲まれて

宵を撞く鐘の音にも遅き日の 玉宗 檀家ではないのだが、近所で生活保護を受けていた一人暮らしの女性が亡くなった。 親戚筋に連絡も取れなかったらしく、数日経って故人と近所付き合いしていた方がお寺を訪ねて来た。事の成り行きで喪主という立場になり、亡くなったその日に市役所の所員立ち合いで火葬に付した。お骨になったので…
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總持寺二祖峨山韶碩大和尚 

瑩山紹瑾禅師の後を継がれた諸嶽山總持寺第二代大現宗猷國師峨山韶碩大和尚は、建治2年(1276)宝達山南麓河合谷村・能登国羽咋郡瓜生田・現石川県河北郡津幡町瓜生大泉庄、押水大海荘に生誕されました。父方は源氏、母方は冷泉家(藤原北家)とされています。 11歳にして教院に身を寄せ、16歳正応四年比叡山延暦寺に上り菩薩…
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總持寺開山太祖常済大師

諸嶽山總持寺開山弘徳圓明国師太祖常済大師瑩山紹瑾大和尚は、文永元年(1264)10月8日陽暦11月21日に出生されました。生誕の地は、越前国多彌観音堂之敷地(現・福井県武生市帆山町)とも、福井県坂井郡丸岡町山崎種の地とも伝えられています。 幼名は「行生」。8歳にして剃髪、永平寺三世徹通義介和尚に参じ、永平二代孤雲懐…
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大本山總持寺祖院震災復記念興落慶式

囀りや仏生まれて来たる日の 玉宗 4月6日、能登半島地震被災14年目にして復興を成し遂げた大本山總持寺祖院の復興記念落慶式に出席させて頂いた。横浜鶴見の大本山總持寺江川辰三大禅師猊下御親修のもとでの大般若経転読祈祷法要を御親修。両班として随喜した。 招待者等含め僧俗合わせて百名ほどが大祖堂に参列。法要の後、禅師様の御…
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葬式仏教批判の行方

供へたる樒も花となりにけり 玉宗 葬式仏教という言葉は、現代の仏教やお坊さんを揶揄するのに使われているのには違いない。それは、葬式しかしない仏教、お坊さんという意味であり、ひいては仏教本来の意義を見失った仏教という意味なのであろう。 江戸時代初期、幕府の宗教統制策によって、寺請檀家制度が設けられだ結果、仏教が…
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花のいのち

囀りやほとけ生まれて来たる日の 玉宗 能登の春は冬のイメージと打って変って花が咲き競って明るいものです。 ひと月遅れとなりますが五月の風薫る花のかんばせに囲まれての花祭り。お釈迦様の誕生に相応しいと感じるのは日本と云う四季豊かな仏教国ならではの感慨でしょうか。 「降誕会」は生れ合わせたいのちの奇蹟に思い…
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寄り添いという間の取り方

菜の花に吹く風だれも咎めざる 玉宗 先日、ある婦人が家庭内の事で相談にのってほしいとやってきた。 ギクシャクした嫁姑のこと。自分勝手な姑とそんな母親に育てられた我儘な夫への失望を語っていった。精一杯家族のために身を尽くしているのに分かってもらえないことからへの絶望感。子供がいることでなんとか自分も外で働きながら、嫁いだ先…
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