『拝啓、良寛さま』その11

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「作務の極意」

なにごとも得手不得手というものがあるようだ。昔から頭より体でものを覚える癖、或いは体でものを忘れる癖がある。足腰の強さは漁師町で育った環境の賜なのだろう。小学生のころから磯舟を操っていた。今でも櫂や櫓を漕ぐ自信がある。あの先々代の横綱・若の花や、戦後間もなく日本シリーズで巨人を相手に四連勝した神さま仏さま稲尾様も小さい頃に舟を漕いでいたお陰で足腰を鍛えられたと喧伝されていたのを記憶している。

「掃き作務」などはどこの僧堂においても経験することができる基本的作務であろう。堂内と堂外の掃き作務があるが、今どきはもっぱら堂外での落葉掃き作務に精を出すことになる。修行は自己の他の誰かを相手にしての競争ではないのではあるが、僧堂生活ではいやがうえにも他の存在の中での自律を余儀無くされる。競争ではないがマイペースなどという得て勝手、自分流という好き放題が許される場でもないのである。

そうはいっても、囚人ではないのだから課せられたノルマ、懲役というような労働でもない。僧堂ではそれぞれが精一杯、自己いっぱいでありつつ、なんともないというのが理想である。だれをも邪魔せず且つ周りを思い遣る、柔軟さ、寛容さが、道を求めつつ宗教的和合の実践ともなるのではなかろうか

。作務もまた例外ではない。作業効率ばかりを期待してはならないが、みんなで成し遂げなければならないという現実もある。修行もまた具体的な世界で足を踏ん張っている。頭でっかちでは駄目だということはそういうことだろう。

 そしてなによりも、作務という動態は頭の中をブラックホールのような空洞にするようなところがある。
昔、掃き作務をしていて悟ったという修行者が何人もいる。これも順番を間違えてはいけない。掃き作務をすれば悟れるというものではなく、当人が常日頃から道の真相を求める心切なるものがあり、掃き作務を機縁に悟ったということらしい。いづれにしても自己の真相を知るには頭の理解だけでは如何ともし難いし、してはならぬというのが禅門の常道ではなかろうかと思っている。

兵庫浜坂の安泰寺で御世話になっていた頃、一度だけ渡辺耕法堂長老師に褒められたことがある。掃き作務ではなかったが、脱穀の済んだ稲藁を束ねてトラックに積む作業だった。新参者の私は畑作務も指示されたことだけを何とかこなしていたのだが、どうしたことか、この「稲の藁束をトラックに積む作務は面白そうだったので自分から買ってでた。そして見事に積んで見せたのである。

「玉宗!凄い凄い!それでいいんだよ!なんじゃ~ やればできるじゃないか。馬鹿もんが、がはははは。その調子でやればいいんじゃよ。正法眼蔵してるじゃないか。あははは」

要するに安泰寺の誰もが為し得なかった積載重量を大幅に越えた量を積み上げたのである。あれで公道を走ったら捕まったであろうが、倉庫までを同じ境内を移動するだけだったのでOK。しかし、冷静に振り返ってみれば、あれは単に堂長老師に乗せられただけだったのかもしれない。まっ、それでもいい。自己の一面に気づかされたことには違いのない契機ではあったのだから。私の命は頭の操作が全分ではない。指先にものやこころが触れただけで五体は全速力で、総力を以て「それ」に反応している。自然であること、それ以外の何を自己に求めようとしていたのだろうか、それまでの私は。(つづく)



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「茜空」
暁闇の海へ鱈船競ひ出づ
かいつぶりびっくりぽんと浮かびくる
忍冬忌夫婦茶碗も古りにけり
長生きの母と四人の冬籠
沈みたる落葉の上を水流れ
煤けたる顏して炭を売る男
老人と猫とほとけと日向ぼこ
雪はまだかと雪見障子を引き上ぐる
綿虫の尻に火のつく茜空
むささびや月食の夜をひとつ飛び



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「金沢小雪」
金沢や暗く冷たく痛き雨
氷雨降る昼を灯せる城下町
北陸の雪の白さや花八手
白山の見ゆる並木や冬紅葉
満天星の冷たき雨に散る紅葉
冬ざれし杜に籠るや大乗寺
雪吊や百万石の空を統べ
雨ながら木枯し荒ぶ広小路
加賀殿のバサラぶりなる蕪寿司
寺町の木の葉時雨に待ち合はせ
山門に冬鳥憩ふ天徳院
玉姫を偲べと木菟の頻り啼く
角巻を雨の駅舎に見失ひ
橋多き町やしぐれの東山
犀川の土手ひろびろと枯柳
茶屋街の雨に宿りす一葉忌
小雪の冷たき雨に別れけり
坂がかる兼六園に着ぶくれて
雪虫や人影もなき四校跡
片町の逢瀬きらめく小夜しぐれ

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