『拝啓、良寛さま』その33

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「作務あれこれ」

「作務・さむ」という言葉もあちこちで目にし耳にするようになった。
「ZEN」 がそうであるように「SAMU」も世界共通語となる日が近いかもしれない。今やファッションとしての「作務衣・さむえ」が注目されているようだが、本来、労働着である。今回はその「作務衣」の話ではない。「作務」にもいろいろあるということを自慢したい。あくまでも私がお世話になった僧堂に限ることをお断りしておく。記憶違いもあり。

「粥罷作務」  毎朝食後の、堂内外の掃いたり拭いたりの掃除
「日天作務」 日中お天道様がでている間の作務総称
「掃き作務」  内外の掃き掃除全般
「花作務」   供華の差し替え
「雪作務」   雪掻き
「草履作り作務」 藁草履作り
「竹箒作り作務」 竹箒作り
「梅作務」    実梅採り
「点心作務」  点心(精進料理)を提供するための典座寮との連携作業
「蒲団作務」  客人用の蒲団を出したり仕舞ったり、干したり
「発送作務」  寺報を檀家や寺院へ送るための折ったり貼ったりの作業。  
「山作務」   寺領に植林した苗木を起こしたり、下草刈りをしたりする管理
「大根作務」  大根の種植えから出荷までの作業(おそらく安泰寺だけだろう)
「畑作務」   一般の野菜作りと同じような畑仕事
「川作務」   境内を流れる川浚い
「銀杏作務」  銀杏を拾い集め、洗い乾かし、食料とする
「後片付け作務」  後片付け全般

追加 「灰作務」  香炉、線香立て、炉などの灰均し、等々、数え上げれば切りがない。

まあ、要するに日常すべての作業に「作務」という「大義」を無理やりつけている節もないではない。臨機応変である。他愛もないと言えば他愛もない。そして、実は所謂「労働」だけにつけている訳でもないようなのである。それはどういうことかと言えば、、ちょっと首を傾げたくなるようなものを挙げると、「寝作務」「球作務」「海作務」、のようなバラエティーに富んだものもある。察しがついた御仁もおられるだろう。僧堂とは僧侶養成機関である本質と対応を持っている。確かに理念では四六時中「行・道」の真っ只中ではある。そうはいっても、若い者には窮屈な日々が続いているのが実際であり、なんだかんだ言っても、偶には息抜きもしたかろう。(それはお前だけだろう、という声が聞こえる。)

「寝作務」とは只管就寝であり、「球作務」とはサッカーや野球、ソフトボール、卓球などの「球」に打ち興じることであり、「海作務」とは海や川で泳ぎ、潜りして我を忘れることであり、決してグランドや浜辺の清掃作業のことではない。そのような非公認のカリキュラムが、少なくとも私の安居した僧堂にはあったし、私自身もそれに参加したし、又、中間管理職的立場になった時は、修行僧への、その辺の心配りもしたつもりである。

ただ、自分たちが一般と違うある種の異形であることは彼ら自身も嫌と言うほど認識している。「海作務」の設定などはもっぱら人目のない巌陰とか観光客などがいない場所が選ばれる。そのくらいの世間への遠慮は、あって然るべきであろう。観光客も地元の好きものも寄りつかない様な、穴場が選ばれることになる。そのような表工作は他の作務においても同然である。

一度、海作務、つまり海水浴場に大衆さんを連れて行ったことがあったが、連れて行った私も、連れて行かれた大衆さんも人様の目を気にして今一つ盛り上がらなかったという苦い体験がある。あわれな思いをしたし、させてしまったと反省した。今の僧堂はどうなのだろうか。若い雲水さんの気質も変わったであろう。僧堂でも携帯電話が公認される時代である。出家者に世間の娯楽が無条件にすべて許される訳もないことは言うまでもない。人さまの目があるからこそ、仏弟子としての自立が果たされる。それはお坊さんだけではなく、人生万般の真相であろうと思う。生身の煩悩多き人間なのである。

敢えて「凡人」と言わずとも好かろう。人間の相場とはしれたものである。そのようなしれた存在である人間が、仏の方を向いて生きてゆこうとしているのである。私は今の世でも敢えて言わせていただく。腐っても、己を越えたものへの志向、眼差し。それを命輝く尊い心根だと弁護したい。

ただし、これにも自ずからボーダーラインがあるだろう。「己を越えたものへの志向、眼差し」それはお坊さんとか宗教に関わる者たちだけに許されたアリバイ証明ではない。盗人にも三分の理というではないか。仏弟子は生身の人間であるから尊いのであるが、娑婆で生きて行かざるを得ない生身の一般社会人以上に、義に反した生き方をしてしまうことへの恥を知る人間でもなければならないと思う。(つづく)



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「窓」
五日はや窓際族となりにけり
年酒や語り尽くせぬことばかり
俵子のぬるりと箸を逃れけり
笹子来て舌打をする窓辺あり
田作の目玉を喰ふに忍びなく
国を出て幾年経たる雑煮かな
太箸に添へたる父の月並句
羊日のはや群羊の一頭たり
龍の玉幕の下りたる暗さにて
着膨れて社会の窓に手こずれり
水餅のうやむやにしてさゝにごり
理不尽なことよ氷柱の太るさへ


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「子」
寒に入るホツトミルクと飴玉と
春着の子顔いつぱいに笑ひけり
托鉢の鈴の音冴えて来りけり
悴みし手もて鉄鉢捧げ持つ
甘さうに雪を啄む寒雀
嘘つきは嫌ひ人参はもつと嫌ひ
大好きな餅を焦がしてしまひけり
泣き寝入りしたね氷柱の太る夜を
凧揚げや大空引つ張るやうにして
なまはげに引つこ抜かれたるちやんちやんこ
こんな夜は狸が来てもをかしくない

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