『拝啓、良寛さま』その142

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「本物と偽物、どれも実物」

穏やかな冬の始め。風もないのに音もなく散る木の葉もある。そのような、なんともない穏やかな日であっても、人間というものは様々な思いを抱いて内心穏やかならぬ日送りをしたがる動物だと思うことがある。取り越し苦労や後悔の念等、妄想が先走り、或いは後から迫ってくる始末。ものを思わねばならぬかのように人は生きている如くである。

韓国のある僧侶が日本の「禅」は偽物である、と言ったとか言わないとかという報道がある。韓国は出家主義であり、偏った教条主義からの発言でもあったのだろうか。「参禅」という言葉の解釈上だけの指摘なのかもしれないが、命の実物で生きることを真骨頂とする「禅」に、本物偽物論議があるというのも面目ない話ではある。斯界に敢えて波風を立てようとする真意を計りかねる。

そもそも、今ここに生きている私の命の在り様、生きている事実に本物だとか偽物だとかという議論や二者択一は迫られてはいない。それほどに命は私的にして公的なるものであろう。経験則から言うのだが、誤魔化そうとしても誤魔化しきれない領域が人の世にはある。実物である以外にない実相の世界。妄想が受け入れられない世界。「禅」という言葉さえ説明に過ぎない。

繰り返すが、命に本物も偽物もない。悪人も善人もない。「禅」もへちまもない。真贋や善悪やセクトが問われるのは主義主張や正義や損得といった欲望や思いをやり取りする現場の話である。本物と偽物、あれもこれも、有ることも無いことも、生も死も、どれも実物である。「禅」が宗教であるというならば、命の実相から人生を見つめ直し、洗い直し、人生を再生しようとするものであってもらいたい。セクト根性を逞しくするような妄想など批判するにも足らない。 



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「ちよつとだけ」
ちよつとだけ見上げてごらんえごの花
よくみれば泣いている花葱坊主
抜きん出て獅子独活花となりにけり
柿若葉煮ゑ滾る日を照り返し
キャラメルの箱ときれいな南風
駅違へ降りてしまひぬ街薄暑
玉子ほどに大山蓮華蕾なす
竹皮を脱ぎ散らかして天を衝く
海霧に呑み込まれたる花いばら
山彦海彦いづれ淋しき夏薊

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