『拝啓、良寛さま』その145

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「震災を生き延びた二人」

能登半島地震に被災したとき、夫人は台所にいた。咄嗟にガスの火を消し、神棚のある隣の間へ逃げ込んだらしい。本能的に広い空間へ向かったのだろうが、机の下に潜り込む間もなく天井が崩れ落ち、瓦礫に埋まってしまった。私は隣りの方丈にいたのだが、大きな揺れに歩くことも出来ず、外に面した壁際の柱に最後までつかまっていた。揺れが収まり我に還るまで少し間があった。何が起きたのか頭が理解できなかった。大音響のあとに静まり返った御堂。埃が鎮まると、あるべき本堂のあたりに青空が覗いている。

「倒壊したんだ!」

咄嗟に夫人の名を呼んでいた。二度三度、四度と大声を出して探し回った。返事がない。夫人の死が脳裏を掠めた。

「俺ひとりこの世に遺されるのか。たまらんな。」

そんな想いを抱きながらおろおろしていたのである。その時夫人は瓦礫と埃の中で呼吸も絶え絶えですぐには返事ができなかったのだと後に語っている。幸い梁の下敷きにはならず、右足の甲の軽い裂傷ですんだが、被災後暫く暗がりや閉ざされた部屋に籠ると気分が悪くなっていた。夫人は交番のお巡りさんや隣近所の人に助けられて倒壊した瓦礫から外へ逃げ出した。

振り返ると原形を留めないほどに倒壊した残骸の山が其処にあった。余震が起こるたび敏感に反応する。兼務寺の永福寺へは連絡がつかない。どうしたらいいものかと暫し茫然としていたのだが、幸い、車を使うことが出来たので取りあえず輪島へ向かうことにした。途中、ごった返している病院に寄り夫人の怪我の手当てをして貰う。輪島までの車中で二人で永福寺にいる家族が無事であることを祈っていた。市内に入ると門前ほどの被災状況には見えなかった。お寺が倒壊もせず建っていることに安堵し、玄関に入ると長男が出迎えてくれた。地震の揺れで落ちた壁の残骸を掃き集めていたらしい。

「大丈夫か?!」
「うん、おばあちゃんもみんな大丈夫だよ。興禅寺はどうだったの?」
「ああ、全壊しちゃった」

気丈で、滅多に気弱なことを言わない夫人であるが、長男の顔を見るなり、堪え切れずに泣き出したのが印象的であった。それ以降、暫くは永福寺を拠点としてで興禅寺再建の歩みを始めることとなったのである。

 その後、全国からの支援を得て再建することが出来た。再建の歩みも夫人の支えがなければどうなっていたものか分からない。住職と寺族、坊守としての日暮らし。被災前も、被災後もそれなりにいろいろあったが、今度の災難に遭遇して、夫人の存在が私にとってかけがえのないものであることを改めて知らされたのは確かである。

子供らも傍にいなくなり、四六時中夫人と顔を突き合わせての生活になった。被災当初はなりを潜めていた我儘を言い合う日々も再開している。変なものの言いようだが、それもなんだか懐かしい。言いたいことを言い、身も心も許し合える存在であるのだが、言うまでもなく私たちは元々他人同士である。二人の間に生まれた子供には親の血が通っているが、夫人とは血ではないもので繋がっている。どちらにしても人生の授かりものであり、宝ものであるにはちがいない。宝の持ち腐れにならないようにしなければならない。
 
五月下旬には永福寺ご開帳法要が控えている。檀家のない永福寺は企画・運営は勿論、勧進も世話人がいないために夫人と私と二人で歩くことになる。夫人には、「托鉢と同じだよ」と言ってある。永福寺での最初で最後の大きな法要になるであろう。これも仏様のご縁である。冥土の語り草に一緒に托鉢して歩いたことがいい思い出になるだろう。



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「一斉に」
一斉に飛び立つニンフ鴨足草
じやがたらの花咲く母のなき世かな
伝承の流れ観音洞涼し
迂闊にも剥がれ落ちたる守宮かな
昼寝するほかに用事もなかりけり
背筋這ふ音して走る百足虫かな
海芋咲く井戸端水浸きゐたりけり
花さうぶしとどに雨を着こなして
田の隅にひとかたまりの余り苗
葉隠れに梅のかたちの青さかな
小判草夕映の燃ゑ移るかに
生き死にの遥かに星の涼しさよ

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