死にゆくものの言葉・『一粒の種』

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海へ向け卒塔婆立てある暮春かな 玉宗

NHK総合テレビを見ていたら「一粒の種」という唄が流れていた。そこには、ある癌患者の遺した詩片が多くの人に感動を与える歌となる出会いがあった。逝く者と遺される者が織り成した心模様。どちらも同じ生死の定めに生きる人間ならではの真心の通い合いがある。

朝日新聞記事http://www.asahi.com/showbiz/music/TKY200905230137.html
『一粒の種』とはhttp://sunakawaerika.net/disco/3rd_pop.html


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「一粒の種 」      

    作詞:中島正人・高橋尚子・下地勇 作曲:下地勇

一粒の種に 一粒の種に
ちっちゃくていいから
私もう一度 一粒の種になるよ

出会って 語って 笑って 泣いた
生きててよかったよ
あなたのそばでよかったよ

一粒の種は風に飛ばされ
どっかへ行ってしまうけれど
あなたへと辿る確かな道を
少しずつ舞い戻って
丘の上からあなたにだけ見える
闇にも負けない光を放とう
ささやかな日々に愛をもらった
私にはそれができる

一粒の種に 一粒の種に
ちっちゃくていいけど
あなたにだけ 気づいてもらえる種になる

痩せた頬に もう涙を流さないで
震える声で もう語りかけないで
私は笑顔であなたを見ている
私を愛するあなたを見ている

心配ばかりかけてごめんね
淋しい思いさせてごめんね
そろそろあなたを 次の場所で喜ばせてあげるから

一粒の種に 一粒の種に
ちっちゃくていいから
命の種に 必ずなるから
すぐそばにいるから



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ここには、迫る「死」を眼前にしても、まだ輝きを放つ命の声がある。言葉の力がある。力となる言葉のいのちがある。これは死を迎え入れようとするものの言葉であり、遺されしものへの愛の言葉である。人間の詩である。これをしも虚しい絵空事とできないことはない。然し、そうであるならば、無常にして無情なる人の世の、どこに熱きものを抱いて生きて行ってよいのか私には解らない。遺言を受け止める側の生き方が問われている。

現実は多くの人間が無念を抱いて息絶えるのではなかろうか。遺された者たちはその無念に応える生き方をしているかと問うことになる。死別を人生の宝とすることができるかどうか。無常を生きて行かなければならないのは人間の宿命である。涙を流しながら人は優しく、逞しく、全てを受け入れることを学んでゆく。存在を全うするためには死を受け入れなければならない。神様はなんと逆説的な命を人間に授けたことであろうか。







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