興禅寺施食会法要
辛き世も暫しの風の涼しさよ 玉宗
八月三日午前十時半より興禅寺盂蘭盆施食会法要が行われた。組寺の覚皇院様と総持寺祖院から雲水さん四人の随喜を戴き無事円成。
食を施し施され、ものを施し施され、身を施し施され、心を施し施され、言葉を施し施され、生を施し施され、死を施し施される。命ここにあることの軌跡は、貪りを離れた真実の捨身供養があればこそのことである。親を殺し先祖を殺し、仏を殺し、神を殺し、生き生かされている私。知らず知らずのうちに、恩知らずな生き方をしている私である。
命あることのなんともない有難さというものがあり、そこに思いを致して生きてゆくことが人間の知恵、慈悲と云うものではないかと。執着の輪廻を断つことが仏弟子としての自己確立でもあり、傲慢にならず、卑下慢にならず、貪らず、飢えず、潤いある人生を歩んでいきたい。
台所で赤飯を盛りつける檀家さんたち。
霊膳の盛りつけ。
本尊、歴代住職の位牌、檀家さんの位牌堂へお供えする霊膳。
法要の始まり。先ず、本尊上供。
仏菩薩へのお勤めはお拝に始まり、お拝に終わる。座具と呼ばれる敷物を広げようとしている。
五体投地。足の裏を見せないように、掌で仏の御足を戴く形である。
住職の法話。台所の方から映している。
参詣者に施された赤飯と素麺汁。手作りである。
檀家さんの先祖位牌が収まっている。能登半島地震以前はもっと広いお堂であったが、再建後は、狭くなってしまった。これが予算ぎりぎりのところであったが、もう少し広い空間にしてあげたかった。
施食棚には乾菜と生菜が供えられる。こちらは生菜。檀家さんに戴いた採れたての野菜である。
本来、施食会は南面といって、本尊を背にして、施食棚を作り、お経を挙げるのが一般であるが、興禅寺は施食棚がなく、已む無く、北面、つまり本尊様の方を向いてお勤めする。須彌壇をお借りして施食法要をしている訳である。手作りの棚でも設えて如法に行持できるようにしなくてはならないと思っているのだが。
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