被災地の歌・福島のこころ

画像


秋の雲ひろがりひろがり一人きり 玉宗


東日本大震災の災禍が未だ影響しつづけている被災地。ポエムブログ「てらやまへのメールhttp://terayamahe.seesaa.net/」の最近の作品を鑑賞してみたい。詩一篇と短歌二首。

 「蝉」

一本の木
そこに生まれる蝉たち
蝉を捕りに来る少年

蝉の翅の
向こうの


匂い立つ
山百合

蝉しぐれ
蝉しぐれ

にわか雨
にわか雨

そのあとに
かかる虹
虹を見上げる少年

やや口を
開けて
いたので

魂は
そこから
少し抜け出して

そらと
くもと
にじと

やまと
みずうみの
あおからなる

かんぺきな
せかいの
compositionを

あいすくりーむのように
ぺろっと
なめにでた

生涯に
二度ない
七歳の夏

魂が
出し入れ自由
だった夏

それから
魂は
ゆっくりと
一匹の

蝉の
標本になって

胸の
空洞に

かたかた鳴って
閊える
石になると

知らないでいた



ここには直截に被災の現実を述べてはいないが、震災と原発被害によって失くした原郷への哀惜、追慕の念が沈潜している。二度とない少年の夏。いつ帰れるともしれない青い山河。標本になってしまった蝉。その胸の空洞に福島の魂が石となって閊えている。それはそのまま、傷ついた故郷を遠望するしかない被災者の無念の声、慟哭でもあろうか。何も知らないで遊んだ去年の夏。何も知らないで去って行った今年の夏。何もかもが標本のようだ。この現実感のなさ。かたかた鳴っている胸に閊えた魂。それでも未だに神様の善意を少年は願っている。被災者はみなそんな少年の心を持って秋を迎えるしかないかのようだ。


画像



どこにでも

ある朝顔が

私だけ

入れる秋の

ベランダに咲く



「私だけ入れるベランダ」が被災者の天地であり、「朝顔」という、人の暮らしに親しまれた花が希望に咲いている。絶望はしていないが、もっと大きな広い空が欲しくない訳でもない。朝顔だって、青い山河のどこにでも咲いていたいだろうに。人も花も共に空の下に心痛めている。


こころには

鬼を飼ってる

私でも

福島の桃見て泣きました



天災人災を恨むことなく、言葉なく、健気な、桃。それはそのまま、繊細にして、鬼のような強かな、桃の種の様な芯をもった作者の心の姿であろう。
余りにも無情な天の采配。鬼も又、被災地を思って泣くのである。






よい記事と思われましたらポチっとお願い致します。合掌
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ







"被災地の歌・福島のこころ" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント