師走雑感

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冬菊を家族の如く束ねては 玉宗

今年も東日本大震災などの天災があり諸行無常を痛感した。そんな一年の風景も、冬木立が風を呼んでいるような師走の時季となった。

三十三年ぶりの御開帳法要や毎年七回行われるお寺の恒例行事など一年を通じての行事も、檀信徒の信心に支えられ無事修行することができた。能登半島地震に遭遇し、肝に銘じた筈の様々なご縁の力。そのようなご縁のあり難さをともすれば失念し、恩知らずな生き方をしてしまう私。そんな自分が恥ずかしい。
「今、ここに生きている命の奇跡的なまでのつながり、関係性」そのような人生の一大事を忘れ、命のはかなさを免罪符にして我儘を通し、人生を浪費してはいなかったか。

人の歴史は、無常な世の中で命を育み、関わり合い、引き継いで行かざるを得なかったというのが現実ではなかっただろうか。人生、それは「無常」が命の宿命、条件であることを知らされる軌跡でもある。命のはかなさや人間性の弱さ、愚かさを克服して生きることがそのまま私の存在意義なのかもしれない。

あることが当たり前であったり、ないことが当たり前であったりする世界では感謝の念も育たないだろう。あったりなかったりする諸行無常の実相。そこには当たり前であることが決して当たり前ではないという真理がある。鏡のような、壁のような実相に対してこそ、人は自ずから存在という当たり前でない奇跡に手を合わせ、頭を垂れる。

衣食足りて礼節を知ると言われるが、その礼節とは人間の欲望を越えるものがあることを知ることではないか。神仏と共にある暮らし、地に足を着け遥かなものへの眼差しを持った生き方であろう。そのような神仏と一体である人としてのあり方に全うに向き合い、人としての真心・誠を持って生を全うしたい。

感謝の念とは事に当たって自然に湧くものである。問題は事に当たるとはどういうことかということである。日々の何気ない出来ごとや出会いが、一期一会の授かりものとして映る曇りのない鏡のような心眼が試されている。それは、無私という滞ることなく、拘りのない生き方にして初めて為し得ることなのかもしれない。

奢ることなく師走を生きて一年を締めくくりたい。







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