生死を越える・良寛と一茶の場合
舞ひ降りて来るしづけさ花菖蒲 玉宗
良寛は所謂、禅宗の中の曹洞宗の系譜に属するお坊さんであるが、果して良寛自身に宗派意識・セクト根性があったかと云えば、私はないと思う。確かにその詩篇には宗門への批判、慨嘆めいたものも少なくはないが、それここれも、釈尊から道元禅師、そして良寛自身へと繋がる一筋の法脈への観照があったということだろう。自己を照らし、今に輝く命の灯。それは宗派という結界、相互扶助、凭れ合いを越えていたのに違いない。
なにものにも礙えられない、まっさらな自己の命に連なるひろやかにして孤独な道。釈尊は「犀の角のように一人で歩め」と云った。自己が自己の法を求める道。それは看板を掲げたり、徒党を組んだりすることでもなく、名聞利養でもなく、旗を振って歩むような世界ではなく、かと言って自分持ちの世界に拘ることでもなく、迷いを見せびらかすことでもなく、悟りを誇ることでもなく、世の一隅に、ひそやかに、憚りながらも、あるがままに生きる道ではなかったか。良寛は徹底して良寛であっただけだった。
だれも私の存在を傷つけることはできない。誰も私の存在を越える事は出来ない。既に欠けることもなく余ることもなく満たされている私のいのち。人の世の毀誉褒貶の埒外に逍遥と嘯き生きる条件は揃っている。自己に漲る仏法を戴くこと以外に何の欲も、損得もないような。良寛には、宗派とか教条とか原理とか主義主張の中で生きてゆく「求心」さえ抜け落ちた解脱の生き様が感じられる。いのち任せというか。いのち日暮らしに徹している柔らかさと厳しさ。道の辺に一木一草のような、とるに足りない、そして紛うかたなき良寛という存在者として生死をわがものとした諸行無常の、構えることを必要としないながらも、どこか近寄りがたい生き方の典型である。
一方の一茶には凡夫として生きる逞しさというようなものがある。荒凡夫と指摘した当代の俳人もいる。
人生の紆余曲折、辛酸の地平に生きるしかなかった俳人、現世に開き直った一茶というアウトサイダー。一茶が念仏や名号を唱えていたかどうか知らないが、晩年は特に妙好人とまではいかずとも、「一向宗門徒」の匂いがする。川柳の先駆者と言ってもよさそうな彼の句に、どちらかと云えばときに理屈めいた響きさえ感じることがあるが、そこには、俳諧に遊び、あなた任せの娑婆世界に生きる苦労人一茶の、どこまでも凡愚な人間であろうとする、ふてぶてしさがあるのではないか。一茶という悪人正機。俳句はそんな人間の良心の一端ではなかったか。時代が下って虚子という俳人は自分を大悪人と詠ったが、虚子には悪人になり切れなかった善人の胡散臭さがあり、私などには虚子という人間の良心が感じられない。
一茶にも又、良寛とは違った形で「求心」を捨て去った生きざまが窺える。分別を捨てて煩悩の世界に殉じるとでもいうような。凡そ人間のすることは聖も凡もたかが知れている。迷いも悟りも、生も死も大差ない夢のような代物である、とでもいうような表現者のアリバイがある。一茶の俳諧にあるアニミズム精神の根底にはそのような眼差しが横たわっていたのではなかろうか。一茶もまただれにとって代ることのできない一茶だけのいのちを戴いたのである。
思えば、命生きることに宗派も糸瓜もない。良寛はひとりの出家者として、一茶はひとりの世俗者として、ともにその生涯を生き抜いた。その志の中に生死を全うした。その潔さ。その孤独さ。そのどうしようもなさ。その空しさ。その美しさ。私にはそのことが限りなく尊く、輝いて見える。憧れて已まない所以であろう。
「閑古鳥」
たゝなはる山色違へ閑古鳥
若竹のまう手に負へぬ高さにて
郭公の遠音に旅のこころあり
花南瓜いまし凋んでゆくところ
また一人口づけをしてゆく泉
滝壺の風にあらがふ苔の花
昼寝覚め風の触れあふ音すなり
蛍見て来たりし妻の胡乱なる
夏蝶の翅を打ちつけてまぐはへり
立葵村を出てゆくものばかり
「平凡」
起きぬけの貌は平凡南風
遺されし母が繕ふ夏衣
烏瓜咲いて星の座定まりぬ
睡蓮を巡る頭の悪さあり
わたくしを虹の向かうに置いて来し
雷過ぎし後のさびしさ手を洗ふ
潮ひそむ涼しき洞のありにけり
たつぷりと夜を焦がして虫送り
ほそみゆく母の寝息や半夏生
夏の蝶海を越えむと昂ぶれる
シャボン玉空に深入りして壊れ
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