今日の莫妄想・リーズナブルな人生?!
雪来ると間垣村より風の音 玉宗
最近よくリーズナブル【reasonable】という言葉を耳にする。
辞典には① 合理的であるさま。納得できるさま。 ② 値段が妥当であるさま。価格がてごろなさま。 「 -な値段」といったような解説がなされている。
ところで、長者の万灯より貧者の一灯という仏の教えがある。
金持ちが見栄をはったり、儀礼的に多くの寄進をするよりも、貧しい人が真心を込めてする寄進のほうが尊いということとされる。金持ちが捧げる多くの灯明より、貧しい者が真心を込めて供える一つの灯明の方が、仏は喜ぶという意味である。量の多少の善悪を云々しているのではない。大事なのは量や金額ではなく、誠意の有無だという本質論である。有名無実と云った折の「実」の在り様を問題にしている。多くても無実なるもあろうし、少なくて無実もあるだろう。多くて実なるもあろうし、少なくて実なるもあろう。施す側の心の在り様を諭している。
100万円がリーズナブルなときもある。100円を惜しむことさえときにはある。仏法と云う目に見えないものへの対価として起こる貪りや惜しみや、その反対に喜びや満足感の程度で自分の信心の深浅を計るのもありだろう。
仏法は日々の活きた教えてある。実践し、行じてみて自得する領域のものであろう。だれでもない、自分がである。行ずることもしないで端からリーズナブル論議を吹っ掛けるのは如何にも見当違いであろうし、おめでたいことではなかろうか。
それは施す側だけの心得違いではなく、受ける側に於いても同様の価値観を共有していなければならんだろう。
人に貧者の一灯を説いておいて、実には万灯を期待している穏やかならざるものを持ち合わせていないか。貧者の一灯を蔑ろにしてはいないか。長者の万灯に媚びてはいないか。恥ずかしいことではある。
雲水の口竈のごとく、死木竜吟ずるが如く、月を釣い、雲を耕すが如く、情に絆されず情を蔑ろにせず、理を先んぜず、理を忘れない心操がなければならない。実に生は生を貪らないからこそ生を全うするであろうし、死は死を貪らないからこそ死を全うするだろう。生也全機現、死也全機現。生にも死にも貪りを離れて初めて全うできるいのちの終始がある。多い少ないことからのこだわりを離れて初めて自得できるなんともなさがある。
あるものはあってしかたがない。ないものはなくてしかたがない。入って来るものは仕方がない。出て行くものは仕方がない。来るものは拒まず、去る者は追わずとは無節操な生き方を勧めている訳ではなかろう。実に究極の自己責任の生き方を言うている。だれがわたしのいのちを引き受けて生きると言うのか。家族でさえ、神でさえ代っては生きてくれないいのちである。実にリーズナブルな次第のものであると云わざるを得ない。
「枯れ」
生きながらいのち枯れゆくいぼむしり
後つけて来るは綿虫くらゐなる
父の座と定まる火鉢置きにけり
一日が忽ち終るちやんちやんこ
暮れがちの軒に吊るせし干菜かな
石蕗咲くや腰から下の重くれて
枯蓮やてのひらほどの明るさの
夢いくつ失くせしけふの焚火かな
冬鳥来雑巾固く絞るとき
着膨れて何かが終り始まりぬ
ひとり旅する待合室の寒さかな
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