總持寺開創七百年を控えての雑感・その5「余滴」

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田の隅に一塊の余り苗 玉宗


五月も晦日となる。
今年は雨が少なく旱気味の五月となった。

依頼されて法要解説の原案もなんとか第一校正にまで漕ぎつけた。

私が作ったのは、所謂、法要参詣者が一堂に会する際に展開される法要の意味説明としての手取り足取り的な「法要解説」ではなく、法要の前振りとして、参拝された一期一会の機縁として、参拝者への仏法教化の補完としての、せいぜいが五分から十分程度の、法要へ寄り添う姿勢を期する謂わば「前振り・前置き法話」とでも言うべきものである。各項の初めに参詣者への「挨拶」がなければならない。それは個々の団参に応じて臨機応変であるのが好ましいので省略した。

法要が全てではないが、無くてはならないものであることは言を俟たない。解説も大事だが因って来たる仏縁に寄り添いたい。マニュアル化することでの形骸化も危惧されるが、それは宗門の行持そのものへの我らがこころ次第である。言い過ぎてもならないが最後は僧の人間力がものを言うことを弁えなければならない。

この後、近いうちに依頼主に点検してもらうことになる。意に沿うているかどうか、なんとも言えない。どうなることやら。世に出ない可能性も大いにある。正直なところ、余り期待してはいない。


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「おつり二十句」

をのこ一人夏暁に舟出して

下駄響く廓寺町夏簾

芍薬の夢も三日と零れたる

生き死にのうつゝに風の涼しさよ


水打てど暮らせど帰り来ぬ人ぞ

ががんぼの忘れし脚が立ちたがり

昼寝覚めしてより後のことにして

君を思へば気遠し与謝野晶子の忌

ふとわれに返りし蟻や立ち止まる

さきみちてむらさきうすきあふちかな

さりながら昼寝ばかりもしてをれず

晴れ晴れと風に吹かるゝ蜘蛛の糸

夕焼やおつりのやうな人生に

鴨足草ニンフ飛び立つやうにして

米櫃に銃後のにほひ雲の峰

夏蝶の影が遅れて曲がるなり

鬼門なる七堂伽藍花槐

穀象も淋しからめと庵の月

息も絶ゆほどのかろさや夏布団

償ひもならぬ短き夜なりけり



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「宿六」

更衣親を失くしてこの方の

よく見れば胡麻粒ほどの子蜘蛛かな

藤椅子の母がだんだん遠くなり

夢路果てうち捨てられし籠枕

偶に来る風を奥へと通しけり

昼寝にはもってこいなる仏間かな

伽羅蕗の乙なる味を好みけり

通りゆくひと声もなし心太

手の届くところに空よ夏燕

新茶汲み紆余曲折の思ひあり

昼寝覚めおいらは何処の馬の骨

アリバイの如くハンカチ手渡しぬ

行水の妻の音してならぬなり

宿六を駆り出し溝を浚ひけり

涼しさに襟落しゆく舞妓かな

ステテコや国を憂ひて余りあり

恥ずかしき従姉妹の白き夏帽子

妻が臍曲れば飯の饐えるなり

仕舞屋の庇を借りて夕涼み

可惜夜や能登の地酒を冷やすべく


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