畑作務その後
転生の夢に蠢く菜虫かな 玉宗
梅雨とは名ばかりといった感じの能登の空梅雨。お寺から畑のある場所まで歩いて十五分ほど。毎日通いたいところなのだが、永福寺と興禅寺を行ったり来たりの身でもあり、庭作務にも手を掛けたりしているので、二、三日おきに出向くことになる。涼しいうちは歩いて向かうのも苦にならなかったのだが、こう暑くてはそれもなんだか面倒くさくなったりしているのが正直なところ。
こう見えて、農作業は毎日現場を見回る誠意がなければ通じない自然とのこころの配り具合が大切な世界であるとおもっているのだが、如何せん五体が馬力不足になっているようで、どうにも足が重い。このようなところからしても、畑作務に興味を抱いて来たのも純粋に農作業への愛着からではなく、以前にも書いたように「作ること」より「食べること」が心底好きな食いしん坊であることの証明以外のなにものでもないことを日々目の当たりにするのではある。
とまあ、以上は単なる愚痴であるが、先日畑を見て気付いたのだが、夏はキャベツや白菜は作るものじゃないんだね。店に「夏キャベツの苗」「夏白菜の苗」なんてあったもんだから、その気になって、前後対策もしないまま植えたのであるが、虫食い穴がひどいことになっていて、まるで青虫・菜虫に餌をあげているような仕儀になっている現状。
薩摩芋や南瓜、西瓜、トマト、ナスの苗は順調なんであるが、見るに見かねた隣の農家の人が「方丈さん、夏は白菜やキャベツを植えない方がよかったね。ほら、今も紋白蝶が飛んできて卵を産みたがっているし、植えた時季も遅かったしね・・」と、同情すること頻り。
「キャベツ」は夏の季語ではあるが、それは夏に花が咲き収穫できるからだろう。吾輩の場合は如何にも植えるのが遅かった。本来冬野菜である白菜にしては尚更であろう。迂闊にもほどがあるね。
ということで、昨日意を決して穴だらけのキャベツを全部引っこ抜いてやった。やったというもの言いは如何にも口惜しさの限りなのであるが、まあ、失敗を経験したことには間違いない。また、一つ学んだね。って、今更かい!!( ´
「困る」
仙人掌の花に纏はる話など
紫陽花の毬地に垂れて雨上る
風鐸の高さ泰山木咲けり
万緑や息を潜めし鳥獣
笹百合や生き倒れたるみちのべの
夕菅や淋しらの空暮れかねて
渓削る川の流れや合歓の花
向日葵やボタン一つでみな瓦礫
困るほど梅を貰つてしまひけり
豆の花田舎娘の大人びて
なにがなんでもトマト嫌ひな妻なりし
つまらない音して胡瓜味はへる
冥途よりぬつと手を出し茗荷の子
紋白蝶キャベツ畑に浮き沈み
光背に包める花の海芋かな
よく眠る母の窓辺や半夏生草
お世辞にも笑へぬ裸とはなりぬ
藺座布団隅に置けざる客の来て
外したる襖隠せる置きどころ
夢を舞ふ羽のかろさや夏蒲団
「実」
箱入りの娘可愛やさくらんぼ
枇杷の実の種が些か大きくて
夜の向かうへ西瓜の種を飛ばしけり
桑の実を食うたる舌を見せにけり
夏茱萸や甘く酸つぱいふるさとの
韜晦もならぬ芭蕉の実なりけり
淋しらの眼うつむく草苺
捕虫網すももを入れて戻りけり
凌霄花火の玉なして傾れ咲く
祭りにはなくてはならぬ裸とか
謂はれなき生きた心地や昼寝覚
飲食のやや疎ましき半夏生
虹色の湯気立つやうに合歓の花
随分と生きてしまひし端居かな
シャワー浴び過ぎてしまつたことにする
恋人が水鉄砲に逃げ惑ふ
草履手に跣で帰る水遊び
あれはもう夕立雲じやなかろうか
水を打つさ中に父の帰りけり
芭蕉葉のゆらりと暑き日を煽ぎ
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