『拝啓、良寛さま』その9
「徒なる文才」
私が厄介になっていた頃の安泰寺の堂頭は渡辺耕法老師。
青森出身のお方である。京都洛北にあった安泰寺で内山興正老師のお弟子となり嗣法。京都では托鉢によって維持されていた安泰寺の在り方に関して、内山老師に「あなたの好きなようにやりなさい。」とか言われたそうで、天下のお墨付きを戴いた渡辺老師は日本中を走り回り兵庫の浜坂山中に伽藍を構えたのである。
若いころのお写真を見て察せられるように、やる気満々、バイタリティーを漲らせていた。自ら率先して開墾、道場としての内実を整えていかれたのであろう。東大への進学よりも出家の本懐を選択したというつわものなのである。言葉少ないお方だったが、般若湯が入ると呂律のまわりがよくなるらしく、青森訛りで手酷くやられた雲水は私だけではあるまい。それでも、諭されることが有り難い、そんな存在の確かさ、ほんもののオーラがあった。
安泰寺には堂頭から各自に与えられるその年のテーマがあることは前にも紹介したが、私には「弁道話」であった。どのように勉強、参究してよいのかも分らぬまま発表会に臨んだ。五分ほども話しただろうか、堂頭はすっと坐を立って方丈へ去ってしまわれた。お話しならないという訳である。古参の方々に慰められたり冷やかされたり、散々な、そして私自身にも予想された展開であった。人前で額にバッテンを貼られたような屈辱感と、開き直りの日々が数日続いたのを覚えている。
悶々としている暇もない安泰寺の日常が戻っていたある日の夜参。発表会の後に提出していたレポートに対しての感想がある、と堂頭が言いだした。
「どいつもこいつも、馬鹿ばっかりじゃのう」
「ん~ しかし、その中でも今回、とくに玉宗!」
「やっぱり俺か、」
「お前の書いたもの、あれの、実にいい。天下一品じゃ!」
「ええっ~?」
「天下一品じゃ!、天下一品じゃがの、但し、宙に浮いているんだなあ、これが。馬鹿もんが。いや~、しかし実に面白かった。ふわっはっはっはっは」
何を言いたいのか私には俄かに解らなかった。
「弁道話」のレポートとは名ばかりの自己告白のような内容であったと記憶している。正直には書いてはあった筈だ。馬鹿正直な程に。自己を持て余している現状を書き連ねたのだろう。おそらく堂頭老師の云わんとしたことは、文学作品として面白いということであり、煩悩丸出しの修行者・市堀玉宗は宙に浮いているんだぞ!可愛いやっちゃ!みたいなところであったのだろう。
「宙に浮く」と言ってもマジックのことではない。頭でっかちの、地に足の着いていない、前のめりの、「いのち哀れむべき」状態のことだ。つくづく実感させられるのだが、人間とは自己の「思い」という化け物にどれほど振り回されることだろうか。今だから言えるが、まだまだ私は自己の何たるかが見えていなっかったのである。しかし、その見えていないことに気付かさせてくれた堂頭老師の一喝ではあった。
生きること、宗教、禅、いのちをいただくということ、それは具体的なことだ。端的な世界。「思い」はいのちの陽炎のようなものではないか。「思い」で私はつかまらない。そんな貴重な体験が安泰寺では何度かあった。有り難いことだったと感謝している。
耕法老師はその後、後継に安泰寺を譲られ、家族共々イタリアへ移住。ひととき彼の地で禅風を鼓舞していた。病を期に日本へ帰られ、今は三重の山寺に棲まわれていると聞く。人知れず禅の本流に生きておられる方が日本にはいるのだ。頼もしくもあり、世に出られないことが惜しくもある。(つづく)
「歳月」
冬靄を脱ぎ始めたる大伽藍
着膨れて人後に落ちてゐたりけり
おでんの具買ひに時雨をひた走る
雑炊をたひらげてこの虚しさよ
よく干されおねしよのにほふ蒲団かな
湯豆腐や夫婦暮らしも四十年
歳月をふりさけみれば木の葉髪
参道に忘れ箒や神無月
干柿の黝ずむ風の白さかな
闇夜なる雪見障子の向かう側
「風小僧」
能登やいま時雨れしぐれて冷えまさり
蜜柑剥くくらいの手間は惜しまざる
冬菊に光陰淡く去り難く
濡れ落葉ひたと貼りつく石畳
あなたなるここに幸あれ干し布団
風小僧冬に生まれてこの方の
一つではなんだと柚子を三つくれぬ
湯に浸かるやうにどつぷり日向ぼこ
イタリアのとある田舎のかじけ猫
じゃんけんに負けて焚火を守ることに
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