『拝啓、良寛さま』その190
「たかが俳句、されど俳句」
俳句に手を染めて三十年以上になる。この間、俳句を引き摺り、俳句に引き摺られてきたようなものだが、最短定型詩が自己表現の一手段であることを疑ったことはない。勿論、それは私の作ったものが作品としてすぐれているか月並みかということと別問題であるが。ご覧の通りの、殆どは凡百の類想の山である。自己表現と簡単に言ってしまうが、その自己がお粗末であるならば、表現という手段・方便も私の身丈に添ったものであるに相違ない。
俳句は自己を語ることではない。何かを感じることだ。日々、息を継いで過ごしてゆくように、俳句という最短定型詩は生まれてくる。息継ぎが浅ければ浅い、深ければ深い感応の世界がそこに表れるだろう。また、過ぎてしまった息が幻であったように、そして、先の息がなければ今がないように、俳句は古く新しく、空しいことがその身上でもあろう。いのちがそうであるように、ときに浅く、ときに深く、ときに新しく、ときにふるく。私のいのちに添った輝きを放つことが俳句の意義であってほしい。
そして、作品に対する自他の評価が表現の洗練を招くように、私は表現することに謙虚であり、精進しなければならない。そして、それはそのまま私が生きることに謙虚であり精進しなければならないことと同じ人生の実相である。表現も人生も、誤魔化しが効かない世界に居てこそ、その醍醐味を味わうことが出来るのだろう。
人様からみて私がどう評価されているか、私の俳句がどう受け取られているか。人の目を考慮しないということが、文芸というある意味の独りよがりの領域には欠かせない条件であることは言うまでもないが、然し、一方に、客観的な目というものも私の中に育てなければ危ういものになることも真実である。人生がそうであるように。目は内にも外にも向けられている。
また、ある種の人達にとって文芸が軟弱な、遊びごと、風流ごとに映っていることを否定はしない。私の中にもそのような故もない僻み、後ろめたさが意識に上ることがある。それは俳諧が本来、そのような世事を棚上げした者たちの賭け事のようなものであったことと無縁ではないだろう。現代は俳句が随分と持て囃され、世の脚光を浴びている観があるが、一方には俳諧やくざ、という言葉もある。飯のタネにもならないものに浮き身を窶している様は、度し難い風流人と揶揄される条件は十分に備えていよう。たかが文芸の真似ごとが自己の最後の砦と化している悲喜劇。たかが俳句。そのようなものに恋して身も世もあらぬなどとは口惜しいことではある。自己を買いかぶらないに越したことはないが、されど俳句。恋したものでなければ味わえない人生の醍醐味というものがあるのも現実である。せいぜい、身を破滅させぬようにしたいものではある。私の俳句はそのような塩梅の自己表現であってほしい。それで十分であると思っている。
「末」
朝曇り人を殺めし夜や明けて
銃弾の虚しく響く溽暑かな
遠雷の幽かながらもまぎれなく
風鈴を聞きとどめたる肘枕
枝豆を肴に国の末憂ひ
ひた走る合歓の花沸く海道を
七夕竹能登も和倉の辺りにて
「たつぷり」
月下美人一度は抱いてみたかつた
烏瓜咲くや渦巻銀河団
気の置けぬ妻のこさへし心太
北潟の風に波打つ花蓮
鬼灯市帰るたつぷり日の暮れて
萱草の沖に日の落つ舳倉島
押入の中はひんやり祭りの夜
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