「目線」

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「目線」

世の中には無闇に威張りたがる人がいる一方で、底が知れない謙譲家がいる。我慢と卑下慢、ともに慢心であるには違いないと思うのだが、これも「上から目線」の物言いだろうか。上からにしても下からにしても誤りは指摘されるべきであろうし、建設的な意見は採用され評価されてこそ世のため人のという理屈も捨てがたい。

要はものの言い方なのかもしれないが、ときとしてレトリックが事の真相を見え難くする。「おまえは何様だ」という反撃したい衝動に駆られるが、それも通用することとしないことがある。憎まれっ子世に憚る現実でもあり、どちらかといえば通用しないことが多いのではなかろうか。出来る人、出来ない人、勝ち組、負け組、年功序列、能力主義、ヒエラルキー、いずれにしてもそれは人間関係の領域の話である。善くも悪しくも、否が応でも、それは欲の世界の風景である。生きることが苦である所以でもある。

然し、だれとも比べられず、換えることのできないいのちの絶対性があり、その領域に落ち着いて生きる人間ともなれることも事実である。上から目線で見られようが、下から目線で見られようが、私そのものに何の痛痒もないのが本来であろうとする生き方もある。負けるが勝ちということも人生の真相であろう。

それにしても、国民を牽引する立場にある者が上から目線であるのか、下から目線であるのか、同じ地平に立つ者なのか。彼が何を成し遂げたかで政治家としての真価が問われて然るべきなのかもしれないが、国難ともいうべき現在、国民が情緒的にも不安定になっているのも現実であろう。人は理屈だけで生きていけるものでもない。神は言葉の細部にも宿るものである。いづれにしても真実は何気なく語らなければならない。言葉へのデリカシーのないものに人の心を思いやることが出来るのだろうかと危惧しないわけでもないが、正義を口外して已まない為政者とは得てしてああいう風なものなのだろう。権力とは恐ろしいものである。弱い立場の者を更に絶望させることのないようにしてもらいたいものだと望むばかりだ。

国破れて山河あり。山河破れて人あり。破れた国を再生させるのもしないのも人間である。その人間とは共に光と影の心を持った存在であることを忘れないようにしたいものだ。私がどう見られているかと反省することも大事であるが、もっと深刻な一大事は、私自身が人や物事を真っ直ぐに見、感じ、受け取り、生きていくことができるのかということに尽きる。


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「くるくる」
裏山にほろほろ落つる零余子かな
去りがての日照雨野に降る鵙の贄
簾捲くくるくる野分来る前に
世の隅に仏弟子一人雁渡し
みるみると今年の早稲を刈り始む



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「奥の手」
枝豆を啄める聞き上手かな
行水を窘めらるゝ老いの秋
秋風に鬣なせるこころあり
稲架組むや妻なる奥の手を借りて
逃げ出して遊んでみたい案山子かな



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