テーマ:俳諧ひとりごと

俳句鑑賞、その2

冬に入る五七五の駆け足で 玉宗 〇11月7日の投句より 俳句の真骨頂とはなんだろうかとよく思う。何が面白くて毎日似たような定型詩を垂れ流しているんじゃろうかとわれながらよく分からぬままに生きている。 そいうことをつらつらおもうに、なんだかんだいっても俳句の俳句たるは「あたらしみ」にあるんじゃなかろうかと。日…
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俳句鑑賞

言霊の石や碑となる秋の風 玉宗 FB上でのお付き合いで、「俳句大学」なるものに毎日鑑賞文を載せることになったので、折々にUPしていこうかな。今回は纏めて四日分。 〇11月2日の投句より 「湯冷めして影の勝手に歩き出す 静代」 「熱を持つ息ひしめきて石榴の実 静代」 その俳句的感性に注目するのだが…
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俳諧ひとりごと

玫瑰や沖遠くしてやすらけく 玉宗 文字通り、俳句つれづれ雑感。前後に何の脈絡もない、つもりです。 〇俳句作品の鑑賞、批評はそれがそのまま鑑賞者、批評者へのブーメランであることを忘れちゃならんだろうね。作品をハイエナのように食い荒らし、やせ細らせるような次第であっていいのかな。ましてや作者への人格査定…
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良寛さんの歌鑑賞・その2

五月雨の晴れ間に出でて眺むれば青田涼しく風わたるなり 良寛 人それぞれの人生模様がある。それは避けて通れぬ生老病死への寄り添い方、戴き方、学び方が様々にあるということ。見方を変えれば、だれも本人に成り代わって自己を生きてはくれぬという厳然たる存在の前提があるということだ。そのような次第の人の一生とは諸行無常なるいの…
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總持寺開創七百年を控えての雑感・その6「石川素童禅師・本山移転」 

涼しさに石も仏となりにけり 玉宗 瑩山禅師によって開創された大本山總持寺は、一万三千余ヶ寺の法系寺院を擁し宗門興隆と正法教化につとめ、能登に於いて五百七十余年の歩みを進めてきた。 しかし、明治三十一年(一八九八)四月十三日夜、本堂の一部より出火、フェーン現象の余波を受け瞬時にして猛火は全山に拡がり、慈雲閣・伝燈院…
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今日の禅語「山呼萬歳聲」

不如帰空に深入りしたるかと 玉宗 いつものように、夫人が茶席用の掛け軸を探していて、元總持寺祖院監院・故長谷川文丈老師の短冊を見つけた。 老師は能登半島地震被災当時の監院でもあり、伽藍復興を見ることもなく、その後体調を崩され数年後に亡くなられた。 長谷川老師は維那としても宗門には名の知れたお方である。その行持綿…
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俳句というわが韜晦術

木天蓼の花咲くころや山も泣き 玉宗 俳句は選句力と作句力が同時並行的に上達するものだというのが一般的である。然し、多くの作品を読んでいるうちに選句力の方が先行して上達するというのが実際のところではないいだろうか。作品を読まない、先生につかない、結社にも入らない、句会にも出ないといった場合は両方とも上達を望めないという認…
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田植えと連休

足裏に代田波寄す昼餉かな 玉宗 連休も終ろうとしている。 今年はどこにも出かけず、お寺で孫と遊んで過した。夫人が目の手術をしたことで、術後の養生を余儀なくされたということもある。いつも夫人の方から「どこかへ行きたいね」と言い出すのが大勢であるのだが、今回に限ってはそんな様子もなく、お寺にいて連休をやり過ごしている。 …
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雨ニモ負ケズ

菜の花の雨ニモ負ケヌ黄なりけり 玉宗 私と夫人は同じ未年生まれである。彼女の方がちょうど一ヵ月早い。血液型も同じA型。勿論、結婚するまで育ってきた環境も親も違う。(当たり前か)生かされて来た条件は何の共通項もないように思われるのだが、赤い糸って言うんですか。縁あって夫婦になり、且つ仏弟子と坊守というある意味公益性のある生を…
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言葉という感性

白藤と仰ぐ美空のありにけり 玉宗 ある俳句雑誌社から五千字を越える随筆を依頼された。 四百字詰め原稿用紙にして優に十枚を超える。引き受けたものの、いつものことながら落ち着かない。締め切りが四週間を切っている。まあ、なんとかなるだろう。 思えば小学生の頃から国語だけは成績がよかった。大して苦にならなかったし、授業が面…
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俳句の文学性総括・人間の見える俳句

春めくや土手を登れば川流れ  玉宗 先日FBで、俳人・島田牙城氏の「牙城俳句塾」で波郷の句「初蝶やわが三十の袖袂」の鑑賞をめぐってひとしきり意見交換させて戴き勉強になった。俳句を鑑賞する側の力量も又試されていることを改めて痛感した次第である。季語一つとっても、嘗て長谷川櫂が指摘していたように、「季語の現場」がなくなったり、…
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もうすぐ東日本大震災から三年

霞むほど沖より幸の来るといふ 玉宗 もうすぐ東日本大震災が起きてから三年が経とうとしている。 三年前のあの日、私はお寺の庫裏でなんだか舟酔いしそうな大きな振幅の揺れの中にいた。気のせいだろうかと外に出てみたりしたが、自分が病気にでもなったのかと錯覚したほどである。ほどなくその気分の悪い揺れも止んで、お茶を呑んでいると…
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俳句の可能性・その4「不易流行を支えるもの」

随分と生きたね雪割草に屈む 玉宗 今回の「俳句の可能性」シリーズのきっかけは「栴檀」賞に応募してきた注目作品から、「写生・写実」を作句理念としている結社「栴檀」の中で、「写生を越える」ということ、又は「不易流行」ということについて思いが及んだからのことである。従来の「栴檀」誌上では余り見られなかった作風に私が少しばかり考え…
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俳句の可能性・その3「写生俳句実作の現場」

春の波打ち寄せ白き手を伸ばす 玉宗 今回、「栴檀」賞応募作品で私が注目した作品を紹介する前に、「栴檀」3月号の掲載されている「同人句会」と「栴檀犬山句会」に於ける辻恵美子主宰の選と講評が如何なるものであるか、参考までに書きだしてみよう。 髪切りて顔の大きく冬に入る    大平勝子  上五中七のおもしろさ。俳諧味のあ…
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俳句の可能性・その2「写生という感性の世界」

灯台は背伸びのかたち鳥雲に 玉宗 写生といえば正岡子規であるが、子規がその膨大な俳句分類から得た月並を脱する手立てがまさに写生・写実であった。「月並」とは観念や理屈を弄んでいるような句であるといってよかろう。「松のことは松にならへ」とは対極にあるような代物でもあろうか。明治という時代精神もあろうが、自然主義、リアリ…
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俳句の可能性・その1「写生を超えるとは?」

アネモネの些か開きすぎかとも 玉宗 創刊当時から所属している俳誌『栴檀』の結社賞「栴檀賞」の選考を任されている。 応募資格は会員同人に関わらず一人20句。今回は例年より少なく、30篇の応募であった。その中で特に注目した作品が一遍あった。それが従来の「栴檀」風な作品とは違った趣であることに驚くと共に、あらためて「俳句の…
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言ひおほせてしまふ俳句の功罪?!

まづしき世に光りを放ち福寿草 玉宗 二月に入って大雪に悩まされている日本列島。長野県もまた例外ではないようで、当に雪に埋もれるといった写真がUPされている。長野と言えば北信濃は小林一茶の故郷である。次のような句がある。季語は「蕎麦の花」で秋であろう。 「しなの路やそばの白さもぞっとする 一茶」 金子兜太…
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俳句の陥穽・月並とは何か?

鶴来たる膝から下がよく冷えて 玉宗 俳句と言えば、「不易と流行」が永遠のテーマと云ってよいだろう。蕉風俳諧の理念の一。新しみを求めて変化していく流行性が実は俳諧の不易の本質であり、不易と流行とは根元において結合すべきであるとするもの。 正岡子規が「俳句分類」で自得した「写生」とは、それまでの「月並俳句」を打破するもの…
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落柿舎・俳諧の浄土

落柿舎へ冬田を曲がる二三枚 玉宗 昨年の今頃だったと思うのだが、夫人と二人で京都へプチ旅行をした。嵐山界隈を散策し、その足で去来所縁の落柿舎へ。お墓も詣でることができた。 去来と言えば、蕉風俳諧の骨髄を継いだ江戸時代前期の俳諧師。蕉門十哲の一人と呼ばれている。儒医向井元升の二男として肥前国(今の長崎市興善町)に生まれ…
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俳句文芸誌の世襲制について

杜鵑草寄らば大樹の翳りあり 玉宗 俳句で飯の食えることを悪とは言うまい。 芭蕉さんだって、一茶だってそうだったし、今も昔も、匠宗とか主宰とか先生と呼ばれる作家・大家は句会や結社の指導や数えきれない俳句大会や新聞雑誌の選者として報酬を戴き、なにがしかの碌を食んでいる。まあ、その中で長者番付に名を連ねる御仁はそういないであろ…
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子規という生き方・糸瓜忌二十句

柿喰うて俳に血を吐く男かな 玉宗 正岡子規は戊辰戦争の直前慶応三年(1867年)10月14日(陽暦)に生まれ、日露戦争の二年前に亡くなっている。生まれた年には徳川慶喜が大政を奉還し、王政復古の号令が発せられた。子規は明治維新という前代未聞のどえらい時に生まれたのである。子規は明治の子であった。子規の満年齢は明治の年号と…
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「正岡子規・鶏頭の句」逍遥

鶏頭の咲くといふより怒るなり 玉宗 鶏頭の十四五本もありぬべし 子規 これは明治33年、子規庵における病床での句である。正岡子規の鶏頭の句の中でも有名な一句であり、俳句界に物議を醸したということでも知られている。鶏頭論争なるものがあった。山本健吉は著書『現代俳句』の中で、写生という創作理論によって築かれた駄句の山の…
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今日の詭弁「家出」を季語にしよう?!

ふるさとの見ゆる高きに登りけり 玉宗 先日、「家出して裏の高きに登りけり」という俳句を作ってみた。 最初は「家出してみたくて登る裏の山」というものである。季語がないことに少し遅れて気付いた。「登高」という秋の季語があり、とって付けてみたのが上の句である。 発表すると二三の反響があり、季語の斡旋に好意的なものから、「…
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「里」能登加賀吟遊

睡蓮を巡る頭の悪さかな 玉宗 2013年夏「里」能登加賀吟遊にちょっとばかり顔を出した。二泊三日に及ぶ夏季鍛錬句会のうち、三日目の金沢兼六園内にある時雨亭句会に飛び入り参加した。 世話人である島田牙城氏からの誘いに見境もなく乗ってしまった。牙城氏も寒蟬氏も名前は以前から存じ上げていた。FBでは「いいね」の友…
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「枻」8月号・作品鑑賞など

解夏の僧らしきが駅をうろつきぬ 玉宗 「枻」8月号 「ふるさと紀行」  市堀玉宗 妻寝かせ夏あけぼのへ舟を出す 夏空の鴎の腋のさびしさよ 呼ばれたる如くに青嶺振り返る いたどりの花高々とわが生地 泊めてもらふ本家の厚き夏蒲団 虹の向かうの故郷に何度生きたやら 陽炎の向かうに手…
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「写生」雑感

かなかなやむかし家族のありにけり 玉宗 「俳句」は「感性による認識詩」であるという立場でものをいうのであるが、例えば「写生」といったことでも、「主観を先立てないで、見たママ、ありのまま、感じたままを描写する」と指摘されるのであるが、本人は「見たまんまです」というのである。「見たママ」が「詩的表現」になり得ているかどうかが試…
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京都の旅・俳諧しぐれ記五十句

面影や紅葉落葉の明るさに 玉宗 俄かに思い立ち夫人と二人で初冬の京都を旅してきた。 紅葉の絶頂は超えており、冬紅葉かつ散り、且つ散りつくして入るといった景色であった。所謂、お寺巡りというものが苦手な私であったが、加齢と共に満更でもなくなりつつあるには吾ながら予想外のことであった。 今回は自家用車ではなく、汽車と観光…
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句集を持って街へ出よう?!高山れおな句集『俳諧曽我』管見

仏飯は湯気立て山は眠りをる 玉宗 現代俳句の旗手の一人である高山れおな氏(1968年生れ)より第三句集『俳諧曽我』<書肆絵と本発行・限定四百部>を御寄贈戴いた。 ツイッターでその装丁の規格外の発想が評判になっていたのは知っていたが、実際に落手して、思わずお買い得感に浸ったことは事実である。頒価三千円は決して高くはない…
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冬安居雑詠

をらざるがごとき鴉の冬めきぬ 玉宗 「冬安居」 涙目の近道冬の雲が追ふ 石の上に首を擡ぐる濡れ落葉 冬安居夢を熾とし眠るなり 母がゐてうれしき障子明かりかな ストーブの向ふに妻のゐてうれし 綿虫や今日あることのあやふさに 柿吊るす明日あることを疑はず 木枯らしの寄せては返…
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冬季雑詠

妻よしぐれの中を歩いてきたことだねえ 玉宗 「木枯し太郎」 木枯し太郎夢と心中するつもり 木枯しの吹くたび思ひ出す家族 凩の中を探しにゆくつもり 木枯しの沖をどこまで行つたやら 帰り花老人あそぶ日なりけり 生きていく油断ありけり帰り花 命日を十日過ぎたる帰り花 …
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