テーマ:禅の言葉

無分別を生きる 

茄子咲いて今日あることのうれしさよ 子供を見ていると教えられることが少なくありません。子供は今を今として無心に生きているように見えます。分別が足りないことを大人は危ぶみもし、笑ったりもするのですが、そのような大人が分別が過ぎた挙句の煩悩に苛まれて生きているのです。今をまっすぐ戴くことが難しくなることが大人になることだと…
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清浄なるもの 

コスモスに吹く風吾にも欲しいと思ふ 玉宗 曹洞宗ではお便所のことを東司(とうす)と呼称しています。 飲食と排便は貴賤・貧富の別なく神聖にして犯すべからざる命の営みです。この時ばかりは、人間は神様のように油断しています。そのような訳ありの命の現場は清浄(しょうじょう)なる現場でもあります。玄関とトイレと仏壇をみれば、家…
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「空」なるもの

鬱憤の極まりて赤唐辛子 玉宗 「空」とはつまりものの実体に関する定義である。ものの実体とは何か?現実とは実体とどのくらい懸け離れているのか、いないのか。懸け離れるとはどういうことか。それそのもので満足しない私の我見や妄想がある。我見の世界を実体とするには余りにも憚れる現実の行き詰まりや齟齬がある。何かがずれている。そのもの…
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諸行無常の宗旨・再考

虎杖を噛めばすつぱい故郷よ 玉宗 コロナウイルスという災難にあたっての心構え、身構えといったことに思いがいたる。 容赦のない諸行無常の人生に対処するにはそれなりの姿勢といったものがあろう。われらが宗旨は「諸行無常」を根本としている。それはどういうことか。 光陰矢の如しとはよく言ったもので、それは実感として申し分…
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精進のこころ

もの思ふまなざし遠き椿かな 玉宗 なんだか、最近、頓に、加齢を実感し、時の流れを痛感している自分がいる。 諸行の無常なることを悟って迷うことなし、といきたいところだが、人様には偉そうなことばかり言っているが、今を蔑ろにとまではいかないまでも、無精な時間の過ごし方をしてるのではないかと忸怩たるものが正直つき纏っている。無為…
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