テーマ:私のお寺遍歴

大乗寺・新盆の思い出

夏安居の彼方はなべて廓の灯 玉宗 金沢市は新盆である。大乗寺山、野田山にはお墓が群を成しており、それぞれ霊園墓地として整備されている。私が安居していた昭和五十年代は板橋興宗禅師が住職をしておられ、境内に接する墓地も又、老師の指示によって整備され始めていた。七月に入ると間もなく、山内は「墓作務」に精を出す日々が続く。大衆…
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曲がりまっすぐ

かんばせに朝の光や夏めきぬ 玉宗 道元禅師様の示された『衆寮清規』『眼蔵・重雲堂式』などにその規範が示されているように仏弟子は基本的に共同生活である。「和合衆」とも呼ばれる仏弟子の日常は、造作なく「道」そのものであり、少なくとも、そちらの方を向いていこうとしているものでなければ意義が無い。 僧堂を「叢林・そうりん」と…
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一枚の葉書・内山興正老師の生き方

裸木となりて百日雲を呼ぶ 玉宗 本棚の整理をしていたら次のような葉書が出て来た。↓  「金沢市長坂町ルー十  大乗寺御山内 山中玉宗様 八月二十八日  信州にて  内山興正 」 消印には塩尻・60 8.29 12-18とある。「塩尻・60」は、大乗寺に再安居していた頃だから昭和60年のことだろうか。旧姓の山中…
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妻なき夜の独り言

素風いま何を思へと吹きつのる 玉宗 夫人が昨日の早朝から「曹洞宗北信越寺族婦人研修会」みたいなことで、福井方面へ一泊二日の外出をしている。出かける前に夫人はこんなことを言っていた。「偶には一人で自分のやりたいことをやるのもいいよね」 実は夫人と二人の生活は私が祖院専門僧堂を辞した七、八年前からの事なのである。一般…
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一枚の写真・あれから三十年

行き処なくこの世に出でし曼珠沙華 玉宗 昭和五十六年六月、福井県武生市・瑞洞院において私は当時総持寺祖院後堂でもあった板橋興宗老師に就いて得度を受けた。それまでの経緯はこのブログでも何度か紹介して来た通りである。<http://72463743.at.webry.info/200905/article_18.html > …
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忘れられないこと

方丈を吹きぬけてゆく南風  玉宗 宗門の機関紙である『禅の友』八月号お盆特集に拙文を載せていただいた。「忘れられないこと」と題した以前ブログで紹介した鷲見透玄老師との出会いと別れの話である。内容に多少手を入れ再掲する。 「忘れられないこと」  故鷲見透玄老師は愛知県知多市宇宙山乾坤院の住職であられた。そ…
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「如去如来」・行ったり来たり 

  僧化して朧となるや鐘の音 玉宗 曹洞宗大本山總持寺祖院専門僧堂の新監院老師が、前任の堀江老師の急逝の後を受けて就任された。 前ヨーロッパ布教統監の今村源宗老師である。昨日、祖院監院寮へ直末寺院としてのご挨拶に拝登させて戴いた。 数年ぶりにお会いする今村老師。イタリアへ赴任されて以来であろうか。実は老師は板橋禅師の…
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畑作務・土と共に生きる

芋植うるごとくに母を葬れり  玉宗 私はどちらかと云えば、今のところ頭を使うより、体を動かしている方が安心していられる。 と、思いこんでいた。しかし、最近どうもそうではないらしいことに気づきはじめている。 加齢による体力の影響もあるのだろうが、畑仕事などにも大いに興味があるのだが、如何せん、中身の伴わない興味の…
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遠くへ行きたいなあ~症候群

風に萎え光りに細み懸大根  玉宗 昨日から輪島市外へ托鉢の脚をのばしている。 遠鉢(えんぱつ)である。托鉢行もマンネリ化して地に足が着かなくなることがある。かといって、全く知らない町というのも浮ついてしまうものだ。能登半島一円は震災再建勧進托鉢で歩いているので一通りは知っているつもりである。宇出津はそれ以前から寒行で…
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出稼ぎお坊さん

裸木となりて百日雲を呼ぶ  玉宗 結婚後、長女が産まれて間もなく私は単身北海道のお寺へ出稼ぎに行った。 お坊さんが出稼ぎ?と思われるお方もいるだろう。日本も狭いようで広い。毎月お檀家さんのお仏壇にお経をあげる習慣がある地方とそうでないところがある。宗派にもよるし、お寺の事情に依ることもある。亡くなった故人の命…
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ああ、ご飯がこぼれるぅ~!

 臘八の一灯冥き坐禅堂 玉宗 俳句の季語にもなっている「臘八会・ろうはちえ」。 お釈迦様がお悟りを開かれたのは12月8日の未明と伝えられている。臘八とは臘月八日の略である。禅宗ではこの故事に因んで、12月1日から8日払暁まで不眠不休の坐禅を中心とした行をする。これを「臘八接心」という。「接心・せっしん」は臘八以外にも…
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行く人・来る人

總持寺へ是より一里冬木立  玉宗 輪島市門前の總持寺祖院の由来については何度かこのブログでもご紹介してきた。 門前は神奈川県横浜市鶴見にある曹洞宗大本山総持寺が約百年前にあった地である。当初「別院」とされていたが、所謂「別院」とは趣を異にしているという宗門内の合意があり、その後「祖院」と改称された経緯があり現在に…
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円空様になれなかった私

言魂の石や碑となる秋の風  玉宗 大乗寺の境内を散策したことのあるお方は気づかれたと思うが、お地蔵さんや観音様が沢山鎮座されている。板橋禅師が入山されるまであのようなことはなかった。好きなんですね、お地蔵様や観音様が。あれよあれよと増えていった感があった。 御誕生寺にも今や所狭しとお地蔵様が立ち並んでいる。それぞれに…
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輪島・鳳来山永福寺

墓洗ふ不肖の弟子でありにけり 玉宗 私には六人の親がいる。 この世への橋渡しをした生みの親である父・山中信義、母・山中キゑ。仏弟子の世界へ誘ってくれた最初の得度の師匠授業師・板橋興宗禅師、奥さん。そして一人前の仏弟子として認めてくれた嗣法の本師・市堀孝之大和尚、養母。妻の親でもある。 その本師である市堀孝之大和…
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