テーマ:禅のことば

時間とは何か?!

これ以上背伸びはできず雁渡る 玉宗 今日から11月である。今年も残るところあと2か月。先のことを当てにするなと人には言うが、春夏秋冬、一年12ヶ月、一日24時間、頭の中に時間の区切りをつけて日々の生活を繰り返している実際であることは誤魔化しようがない。 予測を抱いて事に当たる事は決して間違いではない。将来の不安定要素を考…
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枕経で感じること

底なしの空に身を切る雁の声 玉宗 死者の枕もとであげる読経を「枕経」という。 末期の水を含ませ、手を合わせデスマスクを拝していつも感じることがある。それは「ごくろうさま」という言葉に象徴される感慨である。故人と私は殆ど他人であることが多い。にも拘らず、自然とそのような感懐が湧いてくるのをどうしようもない。まして遺族と…
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雲水さん、初めての遠鉢

墨染の袖に捌きし秋気かな 玉宗 大本山總持寺祖院専門僧堂の雲水さん達が門前を離れ、旧輪島市内を托鉢。永福寺に寄って下さった。 維那老師に先導されてわが弟子を含めて11名の大衆さんが参加。朝から中食を挟んで夕刻までの行持である。永福寺には最後に立ち寄り、本尊上供のあと、お茶を点心させて戴いた。 新到さん達にと…
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永福寺大般若経転読祈祷法要

椋鳥の日暮れ楽しき空の色 玉宗 昨日は永福寺の秋季恒例大般若経転読祈祷法要だった。 脇侍佛である如意輪観世音菩薩は永福寺の前身である誓願寺の遺佛である。真言宗であった誓願寺の伽藍が上杉謙信の兵に焼かれ灰塵に帰して以来、遺された仏像だけが民衆に護り伝えられて来た。百年前に門前町にあった總持寺直末の永福寺は輪島に移転し、…
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性は仏道にとってタブーであるか?!再考

   石蕗の予想外なる眩しさよ 玉宗    「性」は仏道に於いてタブーであるかないか? タブーであるとすれば私も含めて多くのお坊さんがタブーを犯していると云う解りやすい現実が見えてこよう。タブーを侵すことは破戒となるとする見解もあるだろうが、大乗戒では人倫に反した、鬼畜の所業のレベルでの性の浪費・貪りが破戒であるといった立…
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わが青春の大乗寺

雁や仏弟子といふ旅の空 玉宗 昨日は金沢大乗寺の開山忌と、普度会と呼ばれる市内寺院に十年に一度廻って来る連合法要に弟子の孝宗と一緒に随喜してきた。今年は永平第三世・大乗寺開山徹通義价禅師御征忌に併せて、大乗寺六十六世・大本山總持寺独住十七世禅師本行(渡辺)玄宗大和尚五十回忌に当たっていた。焼香師として板橋興宗禅師が横浜鶴見…
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やっちまったよ。入れ歯紛失の旅はつづくの心

旅人の我は秋風汝も秋風 玉宗 只今札幌滞在二日目。ホテルのレンタルパソコンで更新している。 さて、昨日は無事に千歳空港に着いて快適な空の旅を満喫したものだった。墜落やハイジャックなどといった危惧も秋晴れの空のようにあっけらかんと跡形もない。いやはや、飛行機が嫌いだなんてジタバタしたが、如何にも悪ふざけが過ぎたかな。 …
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身心一如・坐禅の実際

今日もまた鵯一羽来たるのみ 玉宗 一週間ほど前から自坊の早朝坐禅に参加している参禅者がいる。60代の女性であるが、眠れない日が続いているそうで、神経症?と診断されて医者から薬を宛がわれているのだという。睡眠導入剤も偶に使っているらしい。話していると普通に会話出来ているし、見た目には籠りがちな人間にも見えない。多少、落ち…
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板橋興宗著・『柔らかな心で』

上手く言へぬ何かが秋を深めけり 玉宗 先日、越前の御誕生寺に御伺いした際に禅師樣から頂いた本がある。『柔らかな心で』と題した北国新聞社刊行の一冊である。これまで沢山の御本を戴いてきたが、告白すれば真面目に向き合って読むことが少なかった。夫人に言わせれば「なんて恩知らずな!」ということのなるのだそうだが、私にもそれなりの…
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仏道への入口・自己に出会うとき

菩提寺へ連れ添ふ後の衣更 玉宗 先日御伺いした七尾市海門寺には今年国重要文化財に指定された千手千眼観音が祀られている。法話ではその観音様に関した内容のお話をさせて頂いた。 地蔵様と共に一般的にもよく知られている観音様であるが、「千手千眼」の名は、千本の手のそれぞれの掌に一眼をもつとされることから来ている。千本の手は、…
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銀杏作務の思い出

喰うて寝てばかりぞ雁の渡るらし 玉宗 大本山總持寺祖院香積台玄関前の参道には銀杏の大木が聳え立っている。 毎年秋も半ばを過ぎる頃になると熟した実がぽとり、ぽちゃり、ぼてっ、こつんと頻りに落ちて、参拝者を喜ばせ、且つ悩まさせる。それは山内に修行する雲水さんにとっても同様であった。 私が出仕していた頃は、毎朝作務の折…
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生きていく力  

垂乳根の懐深し初野分 玉宗 遺教経に曰く、 「世は皆無常なり。会う者は必ず離るゝことあり。憂悩を抱くこと勿れ。世相かくの如し」 つらつら思うに、これまで生きて来た私の人生でどれほどの出会いと別れを繰り返してきたことだろう。 家族と雖も永遠なるものではない。私を産み育ててくれた親は既にこの世に居ない…
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神が植えたところで咲きなさい

叱られて空稲架降りる夕べかな 玉宗 先日、NHKテレビで 85歳で現役の教育者であり、ノートルダム清心学園理事長を務める渡辺和子氏というシスターの生き方と、その著書が放映されていた。 陸軍教育総監で二・二六事件の犠牲者、渡辺錠太郎(1874~1936年)の次女として生まれ、上智大大学院を修了。29歳でノートルダム修道女会…
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ある手紙・若き修行者へ

雁や人生といふ遠きもの 玉宗 冠省 先日は御征忌法要ご苦労さまでした。 立派に鐘司の配役を勤めているので感心しました。中々様になっているではありませんか。初めての大きな法要でしたが、感想などを聞きたいです。 ところで、仏道の広い世界で生きていってほしいという思いが私にはあります。 本物を学びたいならあなた…
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愚かさとは何か?再考

草は穂に風は面影ともなへり 玉宗 人類はその「愚かさ」によって滅ぶだろうと指摘する人がいる。愚かさとは何だろう? 例えば「争い」といった「愚かさ」があるとしよう。 地球上にはお釈迦さまが世に出現される以前から現在に至るまで世界の各地で紛争、殺戮、貧困、差別など不安定要素が絶えない。日本もまた二度の世界大戦を経てい…
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珠のような命

邯鄲や潮の如く夜が来る 玉宗 夫人と私は同じ昭和三十年生まれである。 夫人は10月、私は11月で、ひと月上の姉さん女房である。10月のカレンダーを見たら、自分の生れた日に「由美バースディー」と印がしてあった。自分で書いておくなんて、如何にもこれ見よがし。捲って11月を見ると何も印が付いていないではないか!夫人が自分大…
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親子揃って仏事してます

人生の勢ひ余り藪枯らし 玉宗 大本山總持寺祖院の御征諱会も二日目。 朝晩は涼しいのだが日中は結構な残暑である。然し、時折堂内に吹き込んでくる風は明らかに秋のものである。 御征諱法要での私の配役は「両斑」といって、導師を中心に東西に分かれた位に就かなければならない。夫人は祖院梅花講講員として御詠歌を唱えている。弟子の孝宗…
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東日本大震災から一年半、命輝くとき

胸にひらく露草ほどの美しきもの 玉宗 東日本大地震から半年、未だに二千八百人を越える行方不明者がおり、身元判明のために懸命に捜査活動を続けている警察関係者と被災者でもある遺族たちの日常がNHKのクローズアップ現代で放映されていた。今現在も世界中には災害に遭い、行き詰り、明日への展望も開けぬ日々を過ごしている人達が…
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今日の教外別伝・「達磨さんは想像上の人物なのか?といった拘り」

猿酒に溺れし僧の悲鳴かな 玉宗 五十歳を過ぎてお稽古ごとに目覚め、精を出しているわが夫人。お煎茶礼式の稽古でお家元の指導を受けたとかで、浮かれている。 「お稽古ごとって、形だけを覚えるんじゃないのね・・・」 「何を今更、あったり前じゃん」 「南宋禅、北宋禅って何のこと?」 「達磨大師が伝えた中国…
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今日の精進・「行持」という自己との出会い

コスモスに吹く風誰も咎めざる 玉宗 大本山總持寺祖院の御開山御征忌法要が今月12日から15日まで行われる。 全国から有縁の御寺院が参集しての一大行持。日々の行持の積み重ねがあってこそ成し遂げられる山内行事ではある。 新到である孝宗にとってはなにもかもが初体験で、今頃は法要準備で韋駄天の如く山内を走り回っていることだ…
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今日の妄想・生きる張り合い

生きてあれば死もまた親し花茗荷 玉宗 ときどき生きてゆく張り合いといったところにブレーキが掛ることがある。 それはつまるところ、「生きていく張り合い」といった事に感けた、謂わば私の物足りようとする思いの葛藤であり迷いである。そんな時は夫人に愚痴を聞いて貰うか、ボーとするか、山をうろつくか、坐禅をするか、不貞寝してしま…
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究極の自己責任・「私は私であって私でない?!」

てのひらに山河あり鳥渡りけり 玉宗 能登半島地震で被災し、伽藍が全壊したことは何度も記事にして来たので、気が引けるのであるが、それでも書かずにいられない事がある。それほどに私にとっては忘れられない体験、痛棒であった。その実感とは、当に、大地震に遭うことがまるで宿命であったが如き、あの日のために私の五十年の生涯があったかのよ…
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今日の以心伝心・飛行機、苦手です!

生れて以来途方に暮れてゐぼむしり 玉宗 先日、大乗寺雲水時代の仲間で、北海道で役僧をして暮らしているお坊さんから電話があった。 お寺を建てたので落慶法要に出席してほしいとのこと。師匠である板橋禅師様が都合で来られなくなったそうで、御代理として私に焼香師をしてくれという。禅師様には了解をとってあるとも言う。私のような者…
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今日の涅槃寂静・欲望、またの名を生きる力

秋風や己れ励まし飯を喰ふ 玉宗 仏道の話をすると、「私のような凡人にはとても・・」「煩悩だらけでとても、とても・・」などと一見尻込み、謙遜される方々が結構いらっしゃる。まあ、最初から興味のない話を敬遠する方便なのかもしれないが、それにしても「欲望や煩悩」についての紋きり型認識に閉口しないこともない。 自己の命の真相に…
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大布薩・御粗末ながら生きております。

秋めくやほとほと遠き昨日今日 玉宗 僧堂では「大布薩」という儀式が年に一度行われる。祖院では9月1日。弟子の孝宗も生れて初めての体験である。戸惑いながらも精一杯勤めていることであろう。 この講式は、正式には『菩薩戒大布薩式』という。菩薩戒とは、仏道へ入門するときに授けられる戒法(きまり)のこと。 菩薩戒を受けて仏弟…
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今日の教外別伝・「釣月耕雲」

怒る気になれず耕しはじめけり 玉宗 「釣月耕雲」は道元禅師「永平広録、巻十(山居)」から取られた四字熟語である。 西来祖道 我伝東 釣月耕雲 慕古風 世俗紅塵 飛不到 深山雪夜 草菴中 「月を釣り、雲を耕す」一般的には以下のように解説されているようだ。 「世間で言えば意味の通らないことです。魚な…
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今日の妄想・無用の用

月の出を待たずに眠る花もあり 玉宗 つらつら思うに、人間生きて行くためには大なり小なり何かを「当てにして」いるといったところがある。一寸先は闇だと諭されても、明日も今日と同じように生きているだろうと疑わない癖がついている。 見返りとか、当てを期待するとか、損得を計るとか、得になるとかならないとか、貧しいとか豊かである…
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こんな生き方もあるかな・その3「毎日が休日的な・・・」

托鉢の脚投げ出して雲の峰 玉宗 私のお坊さん人生三十年を越える歳月のなかで、「大休さん」というお名前のお坊さんに二度出くわしている。 最初は瑞応寺専門僧堂に初めての安居をしたときの先輩和尚さん。二度目は總持寺祖院に安居したとき、新到さんで上山してきた和尚さん。年令はお二人とも私より上であった。 どちらも一般在家の社…
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こんな生き方もあるかな・その2「貧しさに親しむ的な・・」

滝の前腹立たしさにさも似たり 玉宗 「学道の人は尤も貧なるべし」という道元禅師のお示しがある。 言うまでもなくここで言う「学道」は「学仏道」のことである。仏道修行者は豊かであってはならない。「貧」であるこそが「道」に親しむ要諦だというのである。貧しいながらも道を慕う者は、昔の賢人や後世の聖人が仰いで尊ぶところであり、仏祖…
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残暑お見舞い申し上げます。

秋はまだ見ぬ希望の如く暮れゆけり 玉宗 全国的に夏の暑さが尋常でなくなっていると指摘されている昨今。能登に暮らすようになって四半世紀以上になるが、残暑に慣れるまで10年は掛った。そのような中で昨日は一日夏野菜の畑整理をして汗を流した。輪島でも日中は33度まで上がったらしい。午前午後と作務から戻るたび汗びっしょりの作務衣を洗…
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