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zoom RSS 寺院仏教を考える・その3 葬式仏教の何がいけないのか?!

<<   作成日時 : 2010/11/20 05:41   >>

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歳月は光りと影の都鳥 玉宗


葬式仏教という言葉は、現代の仏教やお坊さんを揶揄するのに使われているのには違いない。それは、葬式しかしない仏教、お坊さんという意味であり、ひいては仏教本来の意義を見失った仏教という意味なのであろう。
江戸時代初期、幕府の宗教統制策によって、寺請檀家制度が設けられだ結果、仏教が変質し、葬式仏教になったといい、明治五年、神道復興の時勢に便乗した時の政府が仏教界に制約を加え、肉食妻帯も許し、国事に参加することを禁じ、祖先崇拝と葬儀だけをしていればいいという布告も、葬式仏教に大きな影響をもたらしたというものである。

『曹洞禅グラフ』bP14号で、宗教学者・正木晃氏は、「葬式仏教の正しい由来」と題し、その由来はもっと古く、かつ深いものであるとしている。
氏によると、平安・鎌倉時代の大寺院では葬式は行われていなかったという。彼らは「官僧」と呼ばれる国家公務員であり、加持祈祷を専らとし、国家の安泰を保障するのが任務であった。そのため死穢を極端に嫌い、葬式を行うことなどもってのほかだった。寺内で僧侶が病死することすら忌避し、臨終間際の病人を境内から外へ放り出したという話しすら伝わっているという。

僧侶が積極的に葬式に関わるようになったのは室町時代。それには、旧来の国家仏教が没落し、代わって台頭してきた禅宗の広まりがあったのだという。戦士であり、常に死を意識せざるを得ない武士階級に、禅宗の荘厳な葬式が受け入れられた。
その後、すべての宗派が葬式に関わるようになり、武士階級だけではなく、広く民衆にも及んでいった経緯がある。葬式仏教がひろまる以前、死者を弔う儀礼は一族の長が掌握していた。それが僧侶が代行し、専門となって行ったのには、葬儀式の荘厳さが人々を感動させた現実も見逃せなかっただろう。

このようにして、葬式仏教が成立したのは、室町時代後期から戦国時代の頃だという。江戸幕府の寺請檀家制度によってそれが固定化されはしたが、その由来そのものは、かなり時代の遡ることだったのである。そして、注目すべきは、葬式仏教によって、仏教が民衆の間に広まっていったという点である。葬式仏教が定着した江戸時代はまた、仏教がほんとうの意味で日本人の精神世界に定着したときでもあった。本来の仏教というものが時代に先行してあったのではなかったということ。これはどういうことか?

形式の由来よりもっと大切な事実がある。
それは、死者を悼むという行為は、人間性の原点であり、宗教の原点でもあるということ。その意味では、葬儀は人類の貴重な行為であり、断じて軽んじられていいものではないと正木氏は言い切る。氏は現代社会の、葬式仏教という批判を正論ではあるが、反論の余地があるものとして以上のような弁を進めている。しかし、それは決して、本来の仏教を顧みず、拝金主義の片棒を担ぐお坊さんを弁護しているのではない。
死者を悼む人間の真心、葬儀という魂の器、そのような貴重な行為の発露を絶やしてはならないと警鐘しているのである。崩壊はいつも内部から始まっている。





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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
忘年会満身創痍で帰りけむ  よし
yoshiyoshi
2010/11/20 06:36
> 管理人様

『寺門興隆』でも、仏陀が葬式を否定したと判断するのは誤りだとする見解で、日蓮宗の僧侶の方が、連載記事を始めましたね。ようやく、一部のジャーナリスト(拙僧は、島田裕巳氏を「宗教学者」とは認めておりません。彼が本当に「学者」なら、批判に答えるべきですが、それをしていません。よって、彼はジャーナリストです)がセンセーショナルに「葬式仏教批判」を行っている現状に、再批判が可能になったようです。
tenjin95
2010/11/20 06:46
こんにちは。
ベランダの薔薇
1ヶ月咲いています。

友達がこんどは白の羊を
プレゼントしてくれました。
名前はまだありません。

16日に
姪の犬が亡くなりました。
チロ、11歳でした。
いらくさ
2010/11/20 14:44
たしかに法隆寺や東大寺で葬式をする話は聞きません。葬式にかかわることで、日本の仏教が大衆に身近なものになったのは事実ですね。大事なのは、葬式「だけ」が仏教ではないということだと思います。
志村建世
2010/11/20 21:35
みなさま、コメントありがとうございます。合掌

 よしさま。
「忘年会転がり落ちて終りけり 玉宗」

 tenjin95さま。
批判の為の批判、とは、初めから何物も生み出すつもりもないのでしょうし、結局、自己顕示がその目的なのかもしれませんね。

 いらくささま。
羊を贈っていただいたんですか!
プレゼントするお方も凄いですが、
それを戴く、いらくささんも凄いですね。
大丈夫ですか?
因みに、私は未年生まれです。(笑)


 志村建世さま。
仰る通りですね。偏った批判は問題の本質を解らなくしてしまうことがあります。そしてまた、本来の問題を明確にする機会にもなりますね。
見抜く眼力が試されるのでしょうね。
市堀
2010/11/21 16:14
葬式仏教を調べていたところ、こちらの記事にたどり着きました。
最近では、お寺に縁のない人が増えてきました。お寺に魅力がないかと言えば、確かにそうかもしれません。しかし、各地の観光地にある有名な寺院などは参拝者が多く、全く宗教に興味がないとも言い切れないのではないかと思います。
少しでも正しく、少しでも仏様に縁を持ってもらおうとするのならば、お葬式はとても大事な集いだと感じます。
「まずは葬式から」これでいいのでは?と私個人は思います。
ある坊さん
2014/08/08 23:42

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