再生への旅

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zoom RSS 文明という方舟・宗教という方舟

<<   作成日時 : 2011/04/02 05:03   >>

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磯蟹と戯れゐたる万愚節 玉宗


このたびの大震災そして大津波の被害は未曾有の出来事であったと云っていい。被害状況が毎日報道、放映される中で、大型船がビルの屋上に難破しているものがある。津波の高さと強さの暴力性が如実に感じられる映像の一つである。あの映像からノアの方舟を連想したのは私だけであろうか。

過酷な自然環境を生き抜くために人類は文明力をもって受け入れ、或いは立ち向かってきた。その危うさと恩恵の中で生活を営み、人生を築き上げてきた。文明という人類の特権。マクロからミクロの世界まで人類の好奇心は止まることを知らぬがごとくである。自然界における人間の所業は神様にも予想外であったかもしれない。遺伝子操作、原子力の開発などは、人類がパンドラの箱を開けてしまった観さえある。

自然は人間に謙虚さや勇気、忍耐又は癒しや恐怖などさまざまなことを教える。人類の歴史とは、そのような地球の自然に育まれ学び、関わってきた日々でもあろう。永遠を夢見て文明という方舟に乗り出した人類。進歩という幻想の帆に風を受けて何処へいこうとしているのだろう?もう引き返すことはできないのだろうか?

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お釈迦様は命の無常を観じ、世を離れて出家なされた。内なる不安を解消するために。
それは不安の要素を自己の外ではなく、内に認めたということでもあろう。自己変革の可能性を外なる現象ではなく、内なる命の深みへ求めたのである。それが出家の本義でり、世界へのアプローチの仕方なのだと私は思う。

在ることへの不安。又は、無いことへの不安。いずれにしても不安とは銘々もちの代物だ。それは私のいのちの自己防衛本能とも言えなくはない。しかしそれは解決への糸口に過ぎない。様々な不安という「思い」が浮かんだり消えたりしている。その点滅に人は惑わされる。
一方で私が思っても思わなくてもなんともない世界がある。「縁」の実際とは確かにそういうものだ。私の思い通りにならないこと、それは私が不安がるほど不都合なものばかりではない。事実そのように生きているし、そのように死んでゆくだろう。

今、ここに、こうして、息を吸って、吐いて、抓れば痛い五体、あてにならないようでよりどころとなるわが身心、という無常。この端的にもあからさまな無常以外の、どこに私の世界、私でない世界があるというのだろうか?私はそのような有難くも受け入れ難い答えの中に生きている。いのちの宿命、それは極めて当たり前のことであるが、無常であるばかりではなかろうかと思っている。

文明という方舟、宗教という方舟、ともに大河に棹さす微塵にして無常なるものの輝きに過ぎないのかもしれない。







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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
陸上に取り残された船の映像は印象的でした。水があればこその自由も有用性もすべて失って、一個の障害物と化しているのに、構造だけは変らずに残っている。目指したものは「永遠の進歩」だったのでしょうか。しかし気がついたら出発点よりも退いて座礁していた。
 うまくまとまりませんが、まことに象徴的です。文明そのものが行き場を失ったかのようです。おかげさまで、いろいろなことを考えさせられました。
志村建世
2011/04/02 23:17
能登半島沖地震の時と同じく、被災地で活動を続ける自衛隊に感謝。今年は自衛隊の志願者が増えるかもしれませんね。

2011/04/03 03:51
 志村建世さま。
核に対する志村さんのご見解には賛同しています。
同じ過ち、愚かさを繰り返さないことが本当の人類の叡智であろうかと思います。

 宗さま。
そうですね。災害の時に活躍する自衛隊は頼もしい限りです。出来ることならば、戦争時の活躍にならないように祈ります。
合掌
市堀
2011/04/03 08:08

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