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zoom RSS 原発を考える・その3/共に凡夫なるのみ

<<   作成日時 : 2011/04/29 05:00   >>

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泣き寝入る子烏も又雨の中 玉宗

原発被害によって、福島県民は避難民となっている。生活の基盤を津波だけではなく放射能汚染で無くしてしまった。出荷制限、風評被害、環境被害などこれまでになかった被害の様相を呈し続けている。環境にやさしく、安価で、安全であるとされた原発。それが一端崩壊すると取り返しのつかない事態を引き起こすことを我々は目の当たりにしている。これは人類史上で初めてのことであると言ってもよかろう。被災者へは緊急を要する支援が求められている。東電という一企業だけでは如何ともしがたい事後処理であることは皆感じているところである。国策として推進してきた原発。復旧、補償、など政府は先頭に立って采配を振らなければならないだろう。

人類が「火」というエネルギーを手に入れて以来、文明はその恩恵とともにリスクを背負ってきた。原子力がこの先も人類に残された唯一にして最後のエネルギーとは思えない。様々なリスクが指摘されているが、その中で「不自然である」という点が見逃せない。自然界に存在しない原子を放出してまで手に入れなければならないものなのだろうか?

科学が発見し生み出した原子力。自然界には人間から見て混沌としているが如くの秩序がある。人間は言うまでもなく地球に足を着けて息をしている自然児である。母なる大地を傷つけてまで人類は生きながらえようとしているのだろうか?災いが起こるとその責任を追及するのが世の常識である。追求しなければならないが如くである。加害者と被害者。その構図は人と人だけではなく、人と自然という構図もあるのではなかろうか?

完璧や永遠を志向するのも人間らしさであるが、人災にしても天災にしても、我々はともに虚仮の世に生きる儚い命に生きる凡夫同士ではないか。原発問題。それは人間の欲望を制御する能力が試されていると言ってよかろう。






『いつも何度でも』
チェルノブイリ原発の被害者であるナターシャ・グジーの『いつも何度でも』
http://www.youtube.com/watch?v=ry_WACFd8Ds&feature=player_embedded





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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
「原発問題。それは人間の欲望を制御する能力が試されている」というのが、事の本質だと思います。「第二の火」と言われてきましたが、自然物ではありませんでした。
志村建世
2011/04/30 23:45
 志村建世さま。
志村様のブログでのように原発問題を具体的な事例、事象をもって検討することが出来ず、もっぱら、無知な一坊主としての立場で記事にしました。もっと勉強しなければと思っています。無知が赦される問題でありませんね。
ありがとうございます。
合掌
市堀
2011/05/01 09:39

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