再生への旅

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zoom RSS 安いお経は究極のサービス?

<<   作成日時 : 2011/08/04 04:36   >>

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炎昼の戸口を塞ぐ僧の影 玉宗


不明確なお布施のあり方に納得できず、明朗会計のお坊さん派遣会社を創業したお坊さんがテレビで紹介されていた。宗派は解らないが、依頼があればスタッフのお坊さん?(百人以上いるらしい)が派遣され、葬儀、法事などリストアップされたお好みの料金でお経をあげるというものらしい。

あのNHKの全国ニュースでも取り上げられているところをみると、マスコミも注目に値する社会問題?であると捉えているのだろうか。一方でお布施の規格化に反対されるお坊さんの見解も取り上げバランスを取ろうとしていたが、大衆の要望に応えようとしている画期的な?お坊さんに注目していることは否めない。地域の仏教界主催の「お布施を考える会」みたいなシンポジウムがあったらしく、件の業者と反対の立場のお坊さんも参加され、互いに譲らぬやり取りがあったという。規格化そのものに私は反対するものではないが、問題の本質はそう単純なものではないところを単純化して解決しようとしている観が否めない。お布施の現場はいろんな意味でもっと曖昧で、柔軟で、大らかな磁力が働いているというのが私の実感である。

印象的だったのは、お坊さん派遣会社の代表であるお坊さんと、反対の立場を表明した一住職の、それぞれ大凡次のようなコメントであった。

方や、「お布施の規格明確化を含め、わたくしどものしていることは究極のサービス業であると考えております。」

一方は、「お布施はお経をあげたことへの対価と云うのでではなく、(宗教的に?)対等の立場でのことです。」


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私などには「究極のサービス」という言葉の意味がすぐには理解できなかったし、冗談かとさえ思ったほどである。「究極とはなんですか?」と聞いて貰いたかったが、NHKの記者もお坊さんにはこれ以上突っ込めなかったのだろう。
安く、明確化された「お布施」という商品を提供させていただくことが「究極のサービス」であると、一体だれが本気で考えているのであろうか?今時のスーパーでもこのような「究極」の安易なコピーはみられないであろう。ぼったくりと云う法外な事も放ってはおけないが、「安けりゃいいのか」という消費者もいるのは一般社会でもよくあることだ。安物買いの銭失いという言葉もある。「対価」が不適当だとは思わないが、一体だれがどうやってその「対価」が適当であったり適当でなかったりと判断するのだろうか?

「お経」そのものは安いも高いもない。お釈迦さまの教えを解説してある、云わば悟り、解脱への指南書である。月を差す指である。意味が解らなくとも、それをお坊さんに誦んでもらうことに意義があるとするようになったのはいつのころからなのか存知しないが、究極というからには、この上ない代物であるには違いない。言い方を代えるならば、行き詰らないということである。ところで、そもそも仏法の難値難遇なるはお経を誦んでもらうことよりも、真の解脱者に遭逢することであろう。安いお経で全てこと足りるとする信心とはどうなんだろうかと思わないではない。

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碌でもないお坊さんに法外なお布施することが我慢ならないという気持ちは解らないではないが、そのような事情があるなら、檀家や信者であることを辞めればいいのではなかろうか?どうして、布施の多寡を非難してまで檀家であり続けるのだろう。反対の立場をとる住職の指摘している「信者とお坊さんは対等である」というのは正しい。対価としてのお経が高いと思うなら見切りをつける手もあろうというものではないか。ただ弁えてほしいのは、その個人的な問題をお坊さん一般に転嫁しないでほしいということである。

サービスが気に入らないならば、足を使ってでも満足のいく店を探すではないか。真に身心の解脱を求めるのならば、本物を探し出す尽力ぐらいはしなければなるまい。でなければ、個人の愚痴でもって他人の人生を掻きまわすようなことになりはしないだろうか。お店ならば営業妨害で訴えられかねない。

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お布施の不明確云々であるが、明確化することに吝かではないが、現実は臨機応変、施主の都合によって相場と云うものもあってなきがごとくの実際である。具体的に言えば、門前町などでは、禅宗の場合、お通夜では七、八万円。葬儀は十一、十二万円前後であり、中陰は一回が五千円から一万円。四十九日は三万から五万円が相場である。その他、葬儀までには、枕経、納棺、戒名料、血脈料、卒塔婆料、参加するお坊さんのお布施・三万円程が加わり、最終的には三十万から四十万縁で四十九日を済ましている。又、法事では、三万円から五万円が相場。この相場も二十年単位くらいで変遷してきたようだ。

興禅寺は現在三十二軒の檀家である。葬儀も年に一二度あるかないか。法事も推して知るべしで、年四回の行事でのお布施も一回につき三万円が檀家から「お礼」として渡される。平成三年から興禅寺の住職をしているが、年の總布施が二百万円に満たないことが何度もあった。

数年前まで私は総持寺祖院に役寮として出仕していて、云わば宮仕えとしてお手当を戴いていた。能登には副業をしているお坊さんが多い。二束のわらじを履いているお坊さんと揶揄されながらもお寺と檀家と御本尊を守っている現実があるのである。ましてお寺は住職の私有財産ではない。宗教法人の代表役員であり、死亡したときはその家族は後継者がいなければ寺を出ていかなければならない。私などは代表役員報酬を規格化してほしいくらいである。

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一方、旧輪島市の永福寺は、檀家がなく、忘れたころに菩提寺のない施主から葬儀を頼まれることがあったりする。そのようなときは大概お金に余裕のないことがあるようで、三万円で葬儀一切をお寺で出してあげたこともある。

永福寺は檀家のない、信者を対象とした祈祷寺であるが、一回のお布施は一万円前後で、月に一回あるかないか。
同じ宗派のお寺の葬儀を手伝ったりしてお布施を戴いたりして互助し合い、露命をつないでいるといったところか。以前は民宿をしていたこともある。

お寺は税金が免除されているから、それでもやっていけるのだろうという片手落ちに羨望されることがあるが、固定資産税や宗教活動での所得税は免除されているが、所得もピンからキリまであるのは上述の通りである。県市民税、健康保険税、消費税、水道料金、下水道料金、電気・ガス代など光熱費、食費、慶弔費、教育費などは人様と同じである。私の乗っている車は軽四で、今まで新車の普通車を買ったことがない。

俳句で原稿料や選句料を貰うことが偶にあるがきちんと源泉徴収されている。宗教活動以外の所得は申告しなければならない。高速道路料金も払うし、遅滞すれば督促状も届く。お金に余裕がないことで結構、不義理をしている。

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さて、私事はこれくらいにして、「究極」のサービスということで脳裏に浮かぶのはお釈迦様の前生譚にある「捨身供養」である。この身を捨てて人様を救う。そこには当てや、取引、駆け引き、値踏みがない。施すことに跡方がない。心を施し、身を施し、生を施し、法を施し、死を施し・・・究極の布施行には欲の匂いがしない。自らを無にするという究極であることの覚悟が「お安いお経をあげるお坊さんを派遣させていただくのが究極のサービスです」という自称仏教徒である彼らにはあるのだろうか?

彼らの真意が不景気な社会の中で困窮している生活者の負担を減じてあげたいというものであることを笑ったり疑ったりはするつもりはない。然し、控え目に言っても、お経でサービスを云々するならば無料で提供するのが「究極」ではないのか、という反論もあろうというものではないか。或いは、宗教の救いが貧富の差や本人の信心の深浅とどのようにリンクしているのか、その信憑性や可能性をどのように担保していくのだろうか、といような心配も起こると云うものではないか。

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戦後、薄利多売、究極のカスタマイズをうたい文句に小売業界に殴り込みをかけて成長したスーパーがあった。今でも、本質的に似たようなノウハウで消費者や顧客獲得合戦に凌ぎを削っているのだろうか。然しながら、大衆のためと云いながら実質は業者に買わされ迷わされている現実がある。彼らの提供したものは暮らしの豊かさや便利さや気楽さであったかもしれないが、人生の本質を掘り下げ豊饒にするものとは限らなかったし、彼らの浮き沈みは世の知るところである。安いお経の提供も早晩、サービス業として行き詰ることは避けられないのではないか。

今回の事例だけではないが、葬祭業に進出した小売業者が出たりする昨今。一方に一円でも安くあげたい生活困窮者や旧態依然の宗教儀礼に拘る者がいて、一方に一円でも利益をあげたい業者やお坊さんがいて、お互いの正義や欲の掛け合い、値踏みの中でのサービス提供と需要であり、それだけの問題性をもった世間の騒ぎではないのか。田舎の一介のお粗末なお坊さんであるが、私などはそれがことの真相の一端ではなかろうかと思っている。






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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
おはようございます。
昨日から美味しそうですね。
白い茄子・・・・・
赤と紺と緑とオレンジの
ぴかぴか野菜きれいです。

廃炉には長い時間がかかること
県民は理解し始めました。
いらくさ
2011/08/04 05:28
おはようございます
 すべてビジネスにしてしまうのですね。
 欲の匂いがしないものには安堵感があります。
湘次
2011/08/04 08:48
 私の葬儀の時は玉宗様にお経をあげていただきたいといつも思ってしまいます。うちの和尚さんは、献体している人の葬儀はお骨が帰ってきてから、と言っておられるので、私の場合は、すぐにはできないらしいのです。「玉宗様に…」も煩悩の一種でしょうからね。実は、うちの和尚様もビジネスライクのお方なのです。
 
くろちゃん
2011/08/04 20:45
 いらくささま。
今日は広島原爆忌ですね。原子力を破壊兵器として世界で初めて使用された日でもあります。エネルギーとして原子力発電所が使われ出した時、希望に満ちた原子力社会を夢見た国民もあったことを昨日、テレビで放映していました。
地球にも人間にも無理のないエネルギーのやり取りを学習し、生み出さなければなりませんね。

 湘次様。
企業として提供しているということに多少違和感がありますが、一人では改革できないという現実があるのでしょう。然し、一人での自己変革が宗教のすべてであり、社会へのアプローチの仕方だとも思うのです。

 くろちゃんさま。
お坊さんや教師が聖職でなくなったのではなく、一人ひとりが内に尊厳なるものを喪失しているということではなかろうかと思ったりします。
現実とは人が鏡のように外の世界に移った自己を見ていることなのかもと。
ビジネスライクのお坊さんとはある意味、自己に正直なのでしょうが、正直が世渡りの全てではないことも又知っている筈です。
勝縁を祈ります。
合掌

市堀
2011/08/06 07:00

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