再生への旅

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zoom RSS 志のあとさき

<<   作成日時 : 2011/11/09 04:23   >>

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空といふ器の底にそぞろ寒 玉宗

輪島市内の組寺で法要があり随喜した。
控室で後継者やお坊さんとしての志のことに話が及び、思い掛けず日頃の見解を開陳することになった。

四ケ寺ある宗門寺院の住職の中で在家から出家しお坊さんになったのは私一人である。他の三ケ寺の住職はお寺に生まれ育ち跡を継がれた方々であり、彼らに言わせると、私は志を持ってお坊さんをしている本物であるという。自分たちは嫌々とまでは言わなくとも、生まれたときから選択の余地が限られており、その中で副業をしながらも今日までなんとか住職を勤めてきた。あなたのように自ら選んで来たような使命感のようなものがない。

だから恥ずかしい限りである、とまでは言わなかったし、出家者を羨ましがっている風でもなかった。志云々の真意は何であったのか図りかねている。穿ったものの言い方になるかもしれないが、彼らの潜在意識には、僧侶が聖職であり、ある意味でタブー視された領域であることを逆説的に表出しているのかもしれない。

恥ずかしといえば、私のような者が志ある、と言われることの方が余程恥ずかしい。志とは何だろう?それは初心と同じものだろうか?当初から間違いのない方向性のものとして持ち合わせているものだろうか?志は生涯に一度持ち合わせれば事が済むものだろうか?志も又、変質し、或いは充実してゆくものではないのだろうか?

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お坊さんになりたい。お坊さんとして生きて行きたい。そのような決意を志というのならば、お寺に生れ跡を継ぐことを選択した人にもそれなりの志があるに違いない。要はその内実であり、それは親の引いたレールを歩くこととは別な問題であろう。どの社会でも、親や師匠の後を継ぐことを選択したからといって継いだ者の自己責任と自己創造の可能性を免れることはできない。

お坊さんにはお坊さんなりの道の深さがあり、それらは歩いている者が自得しなければならないものだろうし、困難さはそのまま選んだ者の生き甲斐ともなろうし軛ともなるかもしれない。どの道も自分の足で歩まなければならない。親とて子に代わって歩くことはできない。選択したのは誰でもない自分である。選択の余地がないといえば人生の何処にも、誰にも選択の余地はないだろう。

現場のお坊さんに接していると、当にそのような人生の風情を持ち合わせて生きていることが解る。
出家だから本物だとか、お寺に生まれた後継ぎだからレベルが違うということは妄想である。出家が本物なのではない。本物の出家者がいるのである。碌でもない出家者がいるように。お寺に生まれたからいい加減なのではない。いい加減なお坊さんがいるのだ。生き方としての財産を受け継いだ立派な後継ぎがいるように。それはお坊さんもまた人間であることの紛れもない現実であろう。誰もがやりたいことをやっている。やれることをやっている。

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志を忘れないだけでは足りない。志の真偽が問われ、且つ、志を育て、志と共に道を歩くことをこそ問題としなければならないと思う。
「発心正しからざれば万行虚し」とは、そのような道の通塞を語っているものと思っている。後継者を育てるに当たって深慮しなければならない点もその辺にあるだろう。私が愚息に願うことは、発心を自ら起すことと共に、志というものがどの道、どの社会でも欠くべからざる必要条件であること、それは道と共に育ち、自己を支え、自己が支えて行かなければならないものであることに気づいて欲しいのである。

親が勧めた道、親が引いたレールだからというだけで選択肢から外すのは如何にも短慮である。どの道を選ぶも選ばないのも自己責任であることを肝に銘じてほしい。世間も、出世間も、どちらも甘くはないし、辛くもない。あるがままである。そのような現実に耐え得る志を持ってほしい。志という方向性を持った生きる力を養って欲しいし、そのような志に目覚める機縁に巡り合ってほしい。これは一人の親として陰ながら切に願っているところではある。子供の自立こそが何物にも代えられない親孝行なのである。それが又、後継者と巡り合い、育てる意義でもあろうかと思っている。






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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
> 管理人様

どれほどに望んでも、出家の機会が訪れることが無い人もいれば、望まなくても出家する人もいます。拙僧、最近はこれらをひっくるめて、やはり「ご縁」なのだろうと思っております。ご縁で入ったこの道、本物・偽物問うこと無く、ただゆっくりと歩んでいきたいと思っております。
tenjin95
2011/11/09 08:02
月いちの坐禅会に参加しているのですが、そこの古刹のお寺の雲水さん?で面白いお坊さんがいらっしゃいます。4年前まで船員さんをしていたのだそうです。いつも話す内容がほぼ同じでほほえましいのですが、「お坊さんになれば2ヶ月でメタボは解消されますよ」というのが口癖です。玉宗さまとはその点が違うかも(笑い)お坊さんと言ってもいろんな経歴の方がおられるのですね。
くろちゃん
2011/11/09 17:03
tenjin95様。
出家の実際は何かに引き寄せられたが如く、自ら歩み寄ったが如く、必然とも、偶然とも、私の引力であり、他の引力であるような、つまり「縁」ということで、今も、これからも生き生かされていくばかりです。

くろちゃん様。
二か月でメタボ解消・・・確かにそうかもしれません。そして、私の場合、三ヶ月目から元のモクアミでした。(笑)
いろんな経歴を持たれていて、面白いといえば面白いのですが、仏道は人を選ばないということの証左でもありましょうか。
本物は本物で天地一杯。偽物は偽物で天地一杯。曲者は曲者で天地一杯、ということでしょうか。
お坊さんの世界もにぎやかなものです。「^^;

合掌

市堀
2011/11/10 07:36

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