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zoom RSS 「五観の偈」 おせち料理を摘まみながら

<<   作成日時 : 2012/01/03 05:31   >>

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餅に罅指に皸まだ三日 玉宗

おせち料理を摘まみながら夫人がぼそりと呟いた。

「おせちは家で作るものだったわね。子供たちが買ってくるものだと思っているのにはハッとしたわ・・・」

数年前からわがお寺でもお節料理を料理屋さんに注文するようになった。年末年始の寺務の多忙さから加齢の身には対処しきれなくなっているのだろう。それは住職である私にも理解できるし、それをなんとも思わなくなっていたのに気付いた。年末の正月準備の中には確かに「おせち料理」に勤しんでいる八面六臂の母の姿があった。

料理人に作って戴いたものは品数も豊富で豪華かもしれない。然し、わが家で作られたものに感じられた、「嬉しさ」や「あったかさ」が希薄である。それは「母の手」が伝えた「真心」が加味されているということなのだろうと思う。
料理人も真心込めて作っているには違いないだろうが、「貧しさの中にある満足感」が注文できるものでないことは如何とも仕様がない。現代に於いてはどちらが贅沢なことであるか分からない。或いはどちらも贅沢なことであるのかもしれないと思ったりした。

因みに、唐突ではあるが、ここでおせち対応の反省と自戒を込めて、主に禅宗において食事の前に唱えられる偈文に五観の偈というものをご紹介しよう。
道元禅師の著作『赴粥飯法』における引用によって広く知られるようになった僧侶の食事作法のひとつだが、道徳的普遍性の高い文章であるため禅に限らず多くの分野で引用されている。


一 計功多少 量彼来処 :ひとつには 功の多少を計り彼の来処を量る。(この食事がどうしてできたかを考え、食事が調うまでの多くの人々の働きに思いを致し感謝)
二 忖己コ行 全缺應供 :ふたつには 己が徳行の全欠を忖って供に応ず。(自分の行いが、この食を頂くに価するものであるかどうかを反省)
三 防心離過 貪等為宗 :みつには 心を防ぎ過を離るることは貪等を宗とす。(心を正しく保ち、あやまった行いを避けるために、貪など三つの過ちを持たないことを誓います)
四 正事良薬 為療形枯 :よつには 正に良薬を事とすることは形枯を療ぜんが為なり。(食とは良薬なのであり、身体をやしない、正しい健康を得るために頂くのです)
五 為成道業 因受此食 : いつつには成道の為の故に今この食を受く。(今この食事を頂くのは、己の道を成し遂げるためです)


仏弟子は何のために食事をするのか。成道のためだと云うのである。そのために様々な欲望を調える。食欲はその中で基本にして、疎かならない日常底の修行の眼目である。「いただきます」や手を合わせてから食事をすることに宗教的強制ではないかと批判する向きもあるようだが、なんと貧しい心であろうかと思う。ものに心を通わす事が出来ない、ものに溢れ返った現代社会の病巣を見る思いである。飽食、贅沢のスパイラルに嵌ったような現代の日本社会。仏弟子は率先して現代に於ける「貧の豊かさ」を実践するべきなのだろう。おせちを手作りする、しないという以前の問題である。自戒しなければならない。






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