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zoom RSS 「魂」って何?!

<<   作成日時 : 2012/05/25 04:11   >>

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大仏の大緑陰に憩ふなり 玉宗

わが夫人の歯の治療で中島町まで車を走らせた。二時間有余待つことになり、能登島の方へ足を伸ばして一人吟行をして時間を費やしていた。全く、俳句と云うものは金の掛らない便利な代物ではある。
そのような嫌味な事を夫人に言って帰路に着いた。途中、蕎麦で昼食としようということになり、夫人が嘗て行ったことのある穴水町のこだわり蕎麦屋へ向かった。(というか、蕎麦屋さんはどうして<こだわり>に拘るんだろう?)
で、その蕎麦屋が穴水市街と内海を眼下木の間に見渡せる赤松山の中なのである。そして以前から噂には聞いていた「能登大仏」が鎮座しておられる山間なのである。境内?庭園も十分に手入れされていて、山鳥も頻りに鳴き、赤松林の間に間に楓の若葉が映えていた。

「大仏」の他には「観音堂」「三重塔」「鐘撞き堂」「東屋」「参拝者休憩所」そして「蕎麦屋」があるだけ。どこを見渡しても本堂らしきものがなかった。ということで、当然のように「僧侶」の姿も、その影も、雰囲気もなかった。
嘗て、福井県勝山の山中に、タクシー会社の社長さんだかが、大枚を叩いて「仏教リゾート」みたいな伽藍を建立し話題になったが、この「能登大仏」の建立経緯も大同小異の事情に因るのではなかろうかと邪推させていただいた。

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それにしても、大仏は勿論、どの伽藍も庭園も、わが自坊の慎ましさとは懸け離れること夥しく、垂涎ものであったことを告白しておく。「要らなくなったら、わしに寄付してくれんかなあ・・」みたいな物欲に一瞬苛まれた。

ところで、私の実感で言わせて戴けるなら、伽藍も掛け値なしの「がらんどう」であるし、「大仏」さんもどことなくもの足りない。脇に「南無阿弥陀仏」という石碑が建っていた。阿弥陀大仏なんですね。そう言えば鎌倉の大仏さんもそうだった筈。見た目もどことなく似ていらっしゃる。で、この大仏さん、庭園に溶け込んでいないし、負けている。山水経を為していない。何故だろうと思う訳です。建立して10年足らずと聞く歴史の浅さだけでは収拾がつかない問題を孕んでいるのではなかろうか。

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「ほとけ作って魂入れず」とは耳目に知れ渡っているところだが、「魂」とは何か?敢えて私的な発想と物言いで「魂」の考察をさせて戴く。

先ず、「魂」云々より何より、ここには人がいない。人とはお坊さんのことである。その姿も、影も形も、さっきまでいたんだけど今はいないとい言った不在感も感じられない。そしてお坊さんも只いればいいというものではない。お坊さんの「行」の匂いがしないのである。偶々、私と夫人が行ったときは観光客もいなかったのかもしれないが、例え観光客が山ほどいても、伽藍堂の空虚を満たす事はあるまい。蕎麦屋の旨そうな出汁の香りでも誤魔化せないお坊さんの暮らしている山の空気と云ったものが結界にはある。ここにはそれがない。

夫人の貧しい情報によれば、最近、何宗か知らないが住職さんらしい立場の人が入ったとか、そうじゃないとか。住職?が居るのだとしても、この山にある空気は「仏道」の山気ではない。観光としての景色としても、なにか臥竜点睛に欠けている。ここにある「不自然さ」、それは「諸行無常」に抗っている様な、「布施」とは対極にある「貪りの影」があることだ。

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「魂」も又、諸行無常の中でものとなり心となり、光りとなり闇となりして現象界を出入りしていると言っていい。ものを作っている人間には説明を要しないほど得心出来ることではなかろうか。仏道も又、人生を創る、自己を創造するという文化的生き方、無私なる生きざま、魂の典型であると言いたい。極めて非科学的な放言であるが、「仏の魂」とは何かの、これが私なりの答えである。

顧みて、わが自坊のことを思えば、私自身が如何ほど興禅寺、永福寺に「魂」を招来しているか忸怩たるものがある。「入魂」、それは本来、観光寺の見栄えや賑わいとは無縁なものであると言いたい。それは、偏に私の「行」の真偽、深浅に懸かっている。「魂」の有無。それも又、私の作為でどうなるものでもない「因縁生なるもの」である。誤魔化しが利かない。それはひたすらなるもの、清浄なるものに宿る。それは、見える者は見え、聞こえる者には聞こえる。そのようにしか言い様がない代物なのだ「魂」は。





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コメント(5件)

内 容 ニックネーム/日時
貧しくも大名行列蟻の列  よし
yoshiyoshi
2012/05/25 07:27
考えさせられるエントリーです。魂のない大仏も五重の塔も、新築にして廃墟なのかもしれません。仏閣のよって立つ存在理由を、当初から欠いていたのでしょう。
 伝統ある大寺院が観光廃墟にならないのは、そこが今も宗教の場であるからだと思います。
志村建世
2012/05/25 15:52
こんばんは
 仏法に形が必要か不要か。
 やはり、あった方がいいですね。
 あとは続きになりますね。
湘次
2012/05/25 23:56
 玉宗様のお寺の庭先、掃き清めた端正な清らかさに共鳴しました。
何が必要ですか?何も要らないように感じました。生意気な言い方ですが、金子兜太氏の詩碑も、あっても無くてもいいような・・・・・仏の心のよく解らない私ですので、ご無礼はお許し下さい。
 年毎に育ち大木化する樹木、そのような自然の巧まない力と美しさに打たれます。是非そのような樹木を後世にお遺し下さい。
みどり
2012/05/28 12:03
yoshiyoshi様。
皆、自分が天下一品だと勘違いしているようですね。否、それが真実なんですけどね。余り調子に乗るのは・・・。

志村様。
観光で賑わう伝統寺院に魂があるのかないのか、皆さんに聞いてみたいです。

湘次様。
水は方円の器に随い、器は寄る辺ない水を掬います。

みどり様。
心して精進して行きたいと思います。
合掌

市堀
2012/05/28 20:24

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