再生への旅

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zoom RSS 参禅の勧め・自己が自己に参じる

<<   作成日時 : 2012/06/11 04:11   >>

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雨安居や蛹の眠り繰り返し 玉宗


自坊で始めた「参禅会」であるが、志ある諸氏のためにひとこと所信を述べておこう。

一般の方が禅に参ずる志を持たれておられる。それは私に言わせて戴ければ、本人が思う以上に尊いことである。人間、時間があれば余暇を遊興や無為に過ごしたいものだが、その貴重な時間を割いてお寺の山門をくぐり、脚を組んで痛い思いをし、死ぬほど退屈な法話に耳を傾ける。そのようなことは中々できることではない。できることではないが、だからと言って、参禅の本質に出家も在家もない。卑屈になったり遠慮することはないが、甘えてはならない。そして無理をしてはいけないが、安易な道でもない。

私が生きることの意味や目的、意義というようなものがあるのか、ないのか?例えば、そのような問を抱いて参禅をされる方もおられることだろう。問処に答えありともいう。生きているからこその問い掛け、答えの只中に生まれおちているという現実。答えは既に問の中に隠れているという。自問自答。人生に迷うとはどうも、そのような自己の影を追い光りを追うようなところがある。私は自分の体験から申し上げるのだが、参禅はつまるところ、自己に参ずることだ。自己が自己に出会うことが人生の一大事だということ。当然それは他との競争ではない。かと言って、それは狭い意味での自己満足の世界でもない。参禅の要諦は先ず自己を忘ずることに尽きる。煩悩に揺れて已まない自己を御破算にしなければならない。

人間、一人では碌な事も出来ないし、しないものだが、かと言って、徒党を組めば碌な事をしないのもよくあることだ。誠に自己一人を慎むことは困難この上ない。参禅には師匠、良き指導者が必要な事は言うまでもないが、参禅の仲間、同志の存在と云うものも見落とすことのできないものである。参禅も又、そのような支え合い、自律他律の中で確かな一歩を進める事ができるというのも実際の処ではないか。
救われるとは自己が自己に落ち着くこと以外に選択の余地がない。厄介なことは、その落着ができないとという現実がある。そして道元禅師を始め、多くの先人先哲が学道修行の用心、又は指標を示されておられる今生の勝縁があるのも事実である。私などは参禅者の指導者というより同行者として寄り添い、少し先を歩いていると入った程度のものである。私自身もこの結縁を育てて行きたい。

小さな努力が人を変え、人生を切り開いてゆく。仲間と共に参禅のご縁を大事にして戴きたい。そして、あきらめないで、コツコツと自己に参じて人生を切り開いて行ってほしい。同志よ、来たれ!合掌

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参禅会用のテキストとして道元禅師御撰述『普勧坐禅儀』を用意した。宗門には「常済大師坐禅用心記」もあるのだが、後者は長文になるため、坐禅会でのものとしては前者が適当ではなかろうかと。
『普勧坐禅儀』は文字通り、道元禅師が当時の庶民一般に広く普く坐禅の威儀を勧めんが為に書かれた四六駢儷体の格調高い宗門の指標にして帰趨、淵源といった価値を有していよう。坐禅会では毎回、『普勧坐禅儀』を読誦している。

全般と後半の件を抜粋してみる。

「原るに夫れ、道本圓通争か修証を叚らん。宗乗自在何ぞ功夫を費やさん。況んや全體迥かに塵埃を出ず。孰か拂拭の手段を信ぜん。大都當處を離れず豈に修行の脚頭を用うるものならんや。然ども毫氂も差あれば天地懸に隔たり、違順纔かに起れば紛然として心を失す。直饒い會に誇り悟に豊かにして瞥地の智通を得、道を得、心を明めて衝天の志気を挙し、入頭の邊量を逍遥すと雖も幾ど出身の活路を虧闕す。」

「唯だ打坐を務めて兀地に礙えらる。萬別千差とゆうと雖も、祇管に参禅辦道すべし。なんぞ自家の坐牀を抛却して、謾りに他国の塵境に去来せん。もし一歩を錯れば當面に磋過す。既に人身の機要を得たり。虚しく光陰を度ること莫れ。佛道の要機を保任す。誰れか浪りに石火を楽まん。しかのみならず形質は草露の如く運命は電光に似たり。倏忽として便ち空じ須臾に即ち失す。冀くはそれ参学の高流久しく模象に習つて真龍を怪むこと勿れ。直指端的の道に精進し、絶学無為の人を尊貴し、佛佛の菩提に合沓し祖祖の三昧に嫡嗣せよ。久しく恁麼なることを為さば、須らくこれ恁麼なるべし。寶蔵自ら開けて受用如意ならん」

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「雨安居 10句」

森の声空の声雨安居かな

 
著莪の花仏拝みし目にあらた

蛍見しまなこ大事に眠るなり

 
雲水のみな寝落ちたる恋蛍

草引くもこの世のことと思はれず

梅雨寒やそろそろ骨も光るころ

紫陽花の雨に籠れる御堂かな

 
山のもの川のもの喰ひ夏に籠る

 
芍薬の花地に届き雨上がる

 
寺を出ていつきに青田風となる   






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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
ふるさとはあの下辺り夏の月  よし
yoshiyoshi
2012/06/11 04:48
 昨日は恒例の座禅会でした。友達がその友を連れてきたので私たちのグループは3人、あとは医療関係の方々が20数名、坐布をあちこち移動させて禅堂に収まりました。来月を予約しようとしたら、2回とももう予約で埋まっている、とのことで次回は9月になりました。
 その代わりと言っては何ですが、8月2日に仙台で板橋興宗さまの講話があるので、聴きに行くことになりました。たのしみです。玉宗様のお師匠さんでもあるのですよね?親しみが湧きそうな気がしております。ついでに近くの奥州33観音を詣でるつもりです。なにか心得がありましたら教えて頂きたいです。いつか能登にいって参禅してみたいです。
くろちゃん
2012/06/11 09:40

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