再生への旅

アクセスカウンタ

zoom RSS 「つぶやき」とは何か?!

<<   作成日時 : 2012/06/02 04:09   >>

トラックバック 0 / コメント 6

画像


妻の名を先ず呟けり昼寝覚 玉宗

「つぶやき」についてもう一度確認して置きたくなった。先日のブログ記事で私は以下のようなことを書いた。

<IT革命、それはもしかしたら「新しい人間らしさの関係」といったものかもしれない。 いつの時代でも「一人の時間」という「道具」をどう使う事ができるがが問われている。そして仏道的には「時間」とは「わが命」のことであることも付け加えておきたい。 「仏道とIT革命?!」

その後も気なっていたのは「IT革命、それはもしかしたら新しい人間らしさの関係」のことである。

IT革命といっても私の点検するのはSNSに限ってのことであるが、私は今でもブログ、FB、ツイッターの本質は「つぶやき」であろうと思っている。名前や顔を伏せようが公表しようが、文字数を制限しようがしまいが、それはSNSの本質を左右する問題ではないように思う。

「つぶやき」は本音の断片といったものであるが、誰もひとのつぶやきを本気で聞いてはいないのかもしれない。本人自身にもそのようなところがある。断片とはそのようなものであろう。又、本音ではあるが対象を特定しているようでしていない。然し、そんなふりをしているのかもしれない。そして、それはそれでいいような気もしないことはない。つぶやきなのだから。それは一方的であることの恩恵といったようなものだ。

それはまるで自己の洞窟へ呼び掛けて谺を期待しているかの如くである。その洞窟には神や悪魔が棲んでいるのかもしれない。本人が本気になって特定の対象へ呟きたくなったら自ずから呟きでは済まなくなるだろう。そういう意味でも、つぶやいている場合じゃないと気付く事もあるに違いない。人生を牽引するにあたって「つぶやき」は優先順位が低いのかもしれない。

然し、中には本気で本音をつぶやいている者もいるかもしれない。それはそれで構わないのだが、本音がいつも相手に届くとは限らないし、届いても理解され、受け入れられるとは限らないのは面と向かって意思を伝える事情とかわらないのではなかろうか。多くの出会いを期待するということは、自己の本音の真偽を確かめる作業でもあろう。一方的であることのリスクとはそういう事だ。

「つぶやき」にしろ何にしろ、聞く方もいつも本音をまともに聞きたいと思っている訳ではない。本音は偶に何気なく、さりげなく相手へ届けるものなのかもしれない。その辺が「つぶやき」の人間らしさたる所以であろうか。それはIT革命の怒涛の中でも岸に寄せる漣のように人の心に届くかもしれない。情報量の多さがそのまま情報の質の高さ、純度とはならないことは言うまでもない。

一方で黙々と、「つぶやく」こともなく生きている多くの人達がいることを知っている。然し、彼等とて胸の内に「つぶやき」ながら生きているのちがいない。IT革命はより多くの「つぶやき」を社会に掬いあげたということであろう。
「一億総つぶやき」
それもまた結構なことではないか。

「IT革命、それはもしかしたら新しい人間らしさの関係」
それは「つぶやき」という太古より変わらぬ人間らしさを、現代の最先端の道具で以って掬いあげようとしている社会ということでもあろうか。思えば涙ぐましい「人類の誠」である。「つぶやき」の出来ない世の中もまた不幸な社会ではある。そんなことをふと思った。






ランキング応援クリック

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
インターネットの隆盛こそが、あらゆる方面に革命を齎したのは云うまでもないことだが、もしかすると若者のひとりよがりをも助長したのかも知れないですなぁ。

郷愁の金魚掬いの灯の紅さ  よし
yoshiyoshi
2012/06/02 08:47
祝日のイタリアからボンジョルノ
ツブヤキですがなんだかとっても悲しい社会の反映だと思います。隣にそのツブヤキを聞いてくれる人がいないから。芸能人のかたが自分を自己PRのためにっていうのも何だか悲しい事だと思う今日この頃です。今を生きているその時に時間を共有する事が出来る人ともっと関わるのが生きるってことなのでは?インターネットは凄いと思いますがツブヤキ?ちょっと懐疑的です。 処でマイブログに俳句教室のお知らせ掲載してもいいでしょうか? 
Florentia55
2012/06/02 14:42
yoshiyoshi樣。
思い当たる節がありますね。

Florentia55樣。
ご指摘の一面も大いにあるでしょうね。社会的現象の内面に深い現代寺のジレンマがあるのかもしれません。
俳句教室の件、構いませんよ。俳句、なさいませんか?(^^)
市堀
2012/06/03 10:47
それでは早速UPしてみます。俳句いいですねぇ。達人の作品に触れて感動する段階です きっと。
言葉がみつからないような気がします。考えてみますね お時間ください。 お誘いありがとうございます。
Florentia55
2012/06/03 15:38
 良い時代になったという一部分、一面を感じております。此の社会には語りたくても語れず、もんもんと内向し暮らす人が大勢います。私の過去もそうだった気がします。今ではブログ友ができました。
つぶやきでも語りでもいいのですが、其れで終わりにしたくないという感情もあります。
其処から、どう行動へと繋げるのか、発言者自身(私を含め)への問いかけがあります。
 此の時代の難しさもありますが、皆がものの言える時代「一億一言国家」と言えそうです。
一言はつぶやきに置き換えてもいいのですが・・・
ただ私個人として危惧致しますのは、小学生がパソコンで調べものする時代です。
全ての家庭に機器が普及し、使用方法に困らなければいいのですが、まだ数年は格差が解消されないと思うのです。
 つぶやく方も聞く方も対等であればいいのですが、この先の日本、教育内容の変化も気がかりです。
みどり
2012/06/05 13:46
Florentia55樣。
ブログに取り上げて下さって感謝しております。
なんだか、一人ですが、やってみたいという奇特な方が出て参りました。どうなりますやら・・(^^)

みどり様。
人類の歴史は様々な道具との関わりの歴史にも見えてきますね。IТ革命も又、新時代を切り開くための道具との格闘なのかもしれませんね。道具に使われ、使い、そのような自分であることも確かです。いずれにしても自己を見失わないように生きていけたらと。合掌
市堀
2012/06/06 16:34

コメントする help

ニックネーム
本 文
「つぶやき」とは何か?! 再生への旅/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる