再生への旅

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zoom RSS 今日の妄想・無用の用

<<   作成日時 : 2012/08/25 03:59   >>

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月の出を待たずに眠る花もあり 玉宗

つらつら思うに、人間生きて行くためには大なり小なり何かを「当てにして」いるといったところがある。一寸先は闇だと諭されても、明日も今日と同じように生きているだろうと疑わない癖がついている。

見返りとか、当てを期待するとか、損得を計るとか、得になるとかならないとか、貧しいとか豊かであるとか、好きだとか嫌いだとか、肩書があるとかないとか、謂わば表層的、相対的見解といったもの。それはそれで生存競争の宿命、諸行無常の迷界を生き抜くための必要な視座にも見えて来る。

しかし、生きている私の今の命の端的は、それらの見解を超越して、今を全きものとして命し続けているばかりなのではある。過去とか未来とかの時間といった観念も同様であって、それらは今の命の危うさを忘れさせるための罠のようにも見えて来る。命にはそのように自己を麻痺させ、或いは玩弄しているようなところがある。

命の絶対性と相対性。命の連続性と不連続性。命の確定性と不確定性。命の現象性と根源性。命の有用性と無用性。等々、一筋縄ではいかない次元を抱えているといった妄想が私にはある。

世界との関わり方、その様子もまた同様である。
世界は私を軸に廻ってはいないようだ。しかし、私と共にあるには違いないようにも見える。私は世界の一部であり世界は私の残余であるような一体性。その逆でもよい。世界は私の一部であり残余であるような一体性として私に把握されている。歯痒いといえば歯痒い、勿体ぶっているようにも見える。要するに私の思いを越えている。私の思い通りにならないことの不安感と安心感。

このような領域へのこだわりは社会的には頗る役に立たない、無駄な、なんにもならない尽力である。然し、当人にしてみれば、訳の分からない命の危うさに翻弄される訳にはいかないといった人生観、死生観がある。
「いのち生きている」の真相を究め、言い尽し、信じ尽くし、生き切りたい。その辺の立ち位置を大事にしたい。仏道の言い分、守備範囲、言挙げの足場とは、実はここなのであり、ここに命を賭けなければならず、言葉の重力を掛けなければならないと思っている。無用の用の典型たる所以でもあろうか。











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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
鬼の子の寝床の揺れて月も無し  よし
yoshiyoshi
2012/08/25 04:04
電子手帳『合本俳句歳時記』でご住職の句を読みました。

椿の実割れてこの世に何の用

2012/08/25 19:59

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