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zoom RSS 今日の諸法実相 「馬鹿正直について」の馬鹿正直な考察

<<   作成日時 : 2012/08/30 04:37   >>

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にんげんは不真面目糸瓜垂るゝかに 玉宗


いきなりであるが、「馬鹿正直」って褒め言葉じゃないよね。
私の性格評価でときどき「馬鹿正直」というのがある。夫人の言葉にする私への「馬鹿正直」には軽蔑の念さえ感じられる。 過ぎたるは及ばざるがごとし。「正直」も過ぎると「正直」ではなくなるらしい。単なる「馬鹿」ということでもいいのだが、毒にも薬にもならない「馬鹿」ならまだしも、ハタ迷惑な「馬鹿正直」になりさがっていないかと今頃になって心配になってきた。

さっそく屁理屈で申し訳ないが、「正直」の「正」の字は「一に止まる」と書く。その「一」が問題じゃないのかな。真っ直ぐ寄り添うべき「一」であるかどうか。又は、「直」か「曲」かといった「一」へに関わり方、人間性に問題があるのではないのか。それらを弁える事が出来ていれば、「馬鹿正直」であろうが、「正直者は馬鹿をみる」とか言われても大した問題でもないように思えて来る。

或いは「正直」の「正」を「正」と思っていること自体が目を晦ませている可能性もあるだろう。所詮は私一人の計りに掛けた「正」である。「直」であろうが「曲」であろうが狭い世界の話しである。
根も葉もないことを「口にする」のが「馬鹿正直」の弊害の一つとなるのもそのような次第が隠されているからだ。 「馬鹿正直」が問題となるのは、そのような次第の事情が自他を混乱させる「ハタ迷惑」にリンクするからだろう。

私の場合「自分に正直」でありたいと思うことは無いことはないが、それが「はた迷惑」になることもあるのは経験則から嗅ぎ出すことができなくもない。 「人に正直」でありたいということは「嘘をつかない」と言い換えることができるのだろうと思うが、「嘘も方便」といったことがあるのも現実の避け難い厄介さの実際である。まあ、時と所を弁えるということに尽きるのかな。「場」を弁えることが出来ない、「今」を弁えることができない。或いは不十分、或いは過剰であったりすること。それが間違いの元であるということか。

「馬鹿正直」の実相を考察してみるに、やはり一つの「妄想」であることには違いないようだ。「正直」は確かに美徳の一つであるが、美徳が常に社会に適応でき、称賛されるとは限らない。それもこれも「自己」の参究の度合いに掛ってくるだろう。自己を弁える者こそが真に「正直な」生き方を実践出来るのかもしれない。







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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
二人の息子に「正直に」「嘘をつくな」と教えてきました。二男は要領よく適応していますが、長男は「でも、しかし」と周りとぶつかって生きています。彼の美徳だと思いますが、つらい生き方を強いたのかと反省もします。

2012/08/30 10:41
敬すれば 馬鹿正直もそのままに
鈴鐸諸ヲ 微風搖撃 天地貫く
貧女の一灯
2012/08/30 15:45
電柱に蝉と月とが停まりけり  よし
yoshiyoshi
2012/08/31 07:12

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