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zoom RSS 今日の諸法実相・いのちに公私混同はない?!

<<   作成日時 : 2012/08/31 04:07   >>

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生き死にの帳に蚯蚓鳴くばかり 玉宗

政治家が靖国神社を参拝するに当たって「公私の峻別」を迫られる映像がよく放映される。「国務大臣、何某として参拝しました」「私人、何某として参拝しました」みたいな。
世間が政治家の「公私」に拘るのは戦争や賄賂などといった権力への憎悪があるからだろう。似たようなことはお坊さんの世界にもあるのだろうか。その辺は余り注目されていない、というか、なんか一味違った公私の問題提起のようにも見えて来る。

「ご住職、先ほど、焼き肉を食べていましたが、お坊さんとしてですか?個人としてですか?」
「結婚していますが、お坊さんとしてですか?個人としてですか?」
「宝くじを買っていますが、お坊さんとしてですか?個人としてですか?」
「原発反対していますが、お坊さんとしてですか?個人としてですか?」

実際にこのような事を問い詰められた事は無いが、世間のこのような眼差しを感じて自問自答しているお坊さんもいることであろう。社会も口外はしないがこのような思いが燻っているのではなかろうかと思わないではない。
また時に世間の耳目を集める犯罪者として名を馳せるに当たって「公私」を問われることもある。
有名企業の社長が盗撮。古刹の住職が窃盗。除霊と称してセクハラ、会社の課長がパワハラ、等々。
犯罪は私人として犯したものではあるがその責任の取り方は公人としても果たさなければならないというのが社会の常識である。お坊さんも又そのような「社会人」という複合的な人格者として存在している。

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今では死語にもなった観がある「聖職」という言葉だが世の中の様々な職業の中で、特に「聖職」として認知されてきたものが本来的には「いのち」に関わっているのではないかと思っている。
「聖なるもの」とは、侵し難い領域、「公なるもの」ともいえるだろう。「いのち」は全て「公なるもの」ではないかという思いが私にはある。私の都合や思いでどうにかなる領域が極めて限られている事実。
実際のところ、命は公的にして私的なものとして表現されている。私は私であって、私でない。わたしは私的にも公的にも生き得る両面の可能性と枠組みの中で生きているようなものである。お坊さんを聖にして公なるものと昇華し得る私がいるということ。その反対に、お坊さんをして俗にして私的なるものとして染汚し得るのも私である。

公なるものを如何にして公なるままに私できるか。それは、公なる命を如何にして公なるものとして自己表現できるかということでもある。精進とはそのような歩みの様子に他ならない。
私がいてもいなくてもなんともない。且つ、私が私でなければならない、命のあり難さ、醍醐味、犯し難さ、聖なる領域。その自覚をこそ人間らしさ、私らしさ、お坊さんらしさの核にして生きていたい。

核がなければ枝葉末節に拘泥し終わる人生になりかねない。一度限りの、公なる命を、狭い世界に押しやるのは、如何にも口惜しいことではないか。

こだわりなく、のびやかに、ひろやかに、潔く生きる。それこそがお坊さんが聖職である所以であると思っている。
生きて行く命に公私の区別もない。人間「市堀玉宗」という「公私を越えた」いのちそのものが生死しているのである。諸行無常しているのである。その成した善悪の業もまた公私に亘って背負い、そして清浄に回帰させていかなければならない。





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内 容 ニックネーム/日時
沢木興道さんという坊さんは、
一生独身で
移動は托鉢や念仏での無賃乗車
朝ごはんは農家の玄関で念仏の托鉢

そんな坊さんだったらしい。

政治家や大学に雇われて長生きしたから、変な坊さん。

僕は坊さんになったら、地元から嫌われて、自分の良い点を認めさせるために即神仏になると思います。
でも、僕のことを、邪魔者が呪いを残した、ぐらいにしか思ってもらえ無い気がします。

僕の正義感は、人を苦しめます。
人の苦しみから出た言葉の蓄積が僕。

背が低く声が猫なで声で
視力が悪く喧嘩できない
喋れるけど楽しませる術をつかわ無い

沢山色々言われた。
みんな僕が一生気にすると知ら無いで、無責任に言われた。

愚直に解決策を探した。

無理だったか、可能性は低すぎて絶望的だった。


msmr_masachika
2012/08/31 04:24
名月や跛の猫を照らしたる  よし
yoshiyoshi
2012/08/31 07:15

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