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zoom RSS 今日の教外別伝・「達磨さんは想像上の人物なのか?といった拘り」

<<   作成日時 : 2012/09/10 04:53   >>

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猿酒に溺れし僧の悲鳴かな 玉宗


五十歳を過ぎてお稽古ごとに目覚め、精を出しているわが夫人。お煎茶礼式の稽古でお家元の指導を受けたとかで、浮かれている。

「お稽古ごとって、形だけを覚えるんじゃないのね・・・」

「何を今更、あったり前じゃん」

「南宋禅、北宋禅って何のこと?」

「達磨大師が伝えた中国の仏法が宋の時代に南北の地域に派閥分かれしたってことじゃないの。」

「へ〜、達磨さんがね・・・」

「まあ、達磨大師も想像上の人物って説もあるんじゃけどね。」

「えっ、達磨大師って実在したんじゃないの?」

「というか、一般的には想像上のキャラクターというが普通なんじゃないかな。実在した歴史上の人物だったなんて宗門のお坊さんでも真に受けている方が少ないぞ。」

「だって、禅の教えはインドから達磨さんが中国に伝えて、そんでもって日本に伝わったんじゃないの?」

「それはそうだ。歴代のお祖師様の全てが実在していたというのが宗門の命であるという視点ではそこは譲ることができないね」

「だったら達磨さんは実在したのね?」

「わしはどっちでもいい、正直なところ。大事な事は今に仏法が伝わっている事実があるってこっちゃ」

「・・・・・」

「で、お煎茶と南禅、北禅がどうだっていうの?」

「お煎茶手前には禅の心を弁えていなければならないんですって。難しいなあ・・・」

というような訳で夫人との達磨大師実在論議はお稽古ごとの難しさへとシフトして行ったのであるが、禅の心といっても特別のものじゃないだろう。お茶席のことは解らんが、一期一会の出会いに心を通わすことに尽きるだろう。ありのままの自分で真心を尽くせばいい。まあ、その、ありのままってのが問題なんだけどね。

無心なるものを支えるのが「形」や「威儀」の真骨頂。それをわがものとし、一体となり形跡を消す、それが禅の真髄であり、達磨大師が今に伝えた仏法の威儀でもあろうかと思っている。

歴史上の人物とは何か?私にとって歴史上の人物が実在している、していないとはどういうことか?那辺の事情が臍に落ち、道得できているならば、達磨さんやお釈迦様が実在していたかどうか、などといった「客観的問題」は大したことではない。換言すれば、達磨さんやお釈迦樣を実在ならしめるも、しめないも、私自身の実在の仕方次第であろうと思っている。







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【 日々の感謝 】
2012/09/10 18:34

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
茶を立てて秋の深むを差し上ぐる  よし
yoshiyoshi
2012/09/10 07:19
茶をたてて主菓子ニッコリ秋の色
(よし様、ご無礼しました!)
まのじ
2012/09/10 15:21

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