再生への旅

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zoom RSS 命の現場/言ってきかせて、してみせて・・・

<<   作成日時 : 2012/09/17 04:41   >>

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毬栗の頑固さ少し度が過ぎぬ 玉宗

子供は大人の真似をする。この命の現場の実相に大人たちはもう少し真面目に相対した方が宜しいのではなかろうか。

子供は大人の言うことをきかないのが相場である。何故か?それは理屈だからである。理屈が先行しているからであろう。
いじめが収束しない。何故だろう?「いじめをしてはいけません」「いのちを大切にしましょう」それらはすべて理屈である。子供が大人の言うことをきかないのは、それが理屈に止まっているからだ。子供はそれをちゃんと感じている。生きると云う具体的な学びをしている子供は常に?的にして!的な存在である。理屈を与えられた彼等はそれを具体的に応用しなければならないことを直感しているようだ。どうして良いか解らない子供は大人の真似をするしかないではないか。

そのような理屈先行による閉塞社会は子供たちの現場だけではない。翻って真似をされている大人達の社会の投影であであろう。政治・経済・国際関係においても、正義や理想や主義主張も大事だが、心を尽くす命の現場でどれだけ具体的に命戴いていることへ感謝し、真心や誠を尽くしているかといった具体的な世界が問われてよいだろう。「いじめ」とは大人社会の反映である。

誰もが「現実」を口にする。そして誰もが「現実」に迷い、翻弄され、呪詛する。「現実を尊重する」とはどういうことなのか?「諸行無常」を尊重するとは一体どのような生き方なのか?

「現実」が「現実という妄想」に成り下がるのは、それが理屈に止まっているからだろう。「現実」に逃避し、アリバイ作りするに腐心して已まないのは「執着」というものが「理屈」に蔓延りやすいからだ。主義主張以前の無私なるもの、執着を越えたものこそが眼前に提示されなければならない。尊重しなければならない現実とはそのような世界のことであろう。すべての人間の欲望を満足させる現実などといったものがあろう筈がないが、全ての人間の欲望を調えて叶えられる満足といったものの可能性はある。

いつまでも「現実」や「正義」という理屈を振りかざしていては人類の歴史がこれまで侵して来た同じ間違いを繰り返すことは目に見えている。そのような大人社会の真似を子供達にはさせたくないものだ。

「言ってきかせて、してみせて、褒めてやらねば人はできぬよ」




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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
金秋や七輪何かと忙しき  よし
yoshiyoshi
2012/09/17 07:33
ネパール民話ドコ(竹かご)
夫婦と幼い子ども、それに夫の父親の貧しい四人家族。父親は歳をとり働けず、手がかかるようになるが、息子も嫁も面倒を見ず食べるものさえろくにあてがわない。幼い孫は時々自分の食べ物をあげるが「無駄にするな」と両親に叱られる。息子と嫁は、父親をどこか遠くに捨ててしまおうと相談する。この話を聞いた男の子が問い詰めるが二人は打ち消し「心配するな。どこか遠くの親切な人に面倒みてもらうのだから」と嘘をつく。暗くなって息子は市場で買ったドコに父親を押しこみ担ぎあげる。捨てられることを察して老人が「恩知らずめ!」とののしる。騒ぎを黙って眺めていた幼い息子が父親に声をかける。「父ちゃん、おじいちゃんは捨ててもドコは捨てないでね」「どうして?」「だってさ、父ちゃんが歳をとった時に、捨てに行くときに使うんだもん」

2012/09/17 15:18

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