再生への旅

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zoom RSS 仏道と科学と倫理の周辺・命は選べるのか?

<<   作成日時 : 2012/09/20 04:22   >>

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生きてあれば南瓜転がるさへ嬉し 玉宗


「出生前診断」という言葉が耳目に上り始めている。胎児の異常の有無の判定を目的として、妊娠中に実施する一群の検査のことで、広義では文字通り「出産までに行う検査および診断」であり、狭義では「異常が疑われる妊娠に対し出産前に行う検査および診断」を指す。

出生前診断の結果に基づく人工妊娠中絶には、優生学的な生命の選別に当たるなどの生命倫理学的な問題があるとの意見がある。これは医学の発達とともに、検査の精度が高まり検査実施時期が早まったことで、比較的高い確率で出産前に胎児の異常を発見することが可能になったことによって派生した問題である。それゆえに障害児を産み一生育てるという立場に置かれた女性の中絶を選択する権利と、障害を持つ物言わぬ子どもの生きる権利が対峙している社会の現実がある。

科学の進歩自体に歯止めを掛けることは不可能なのだろう。命の操作にまで及びかねない科学という道具の使い方、応用にこそ人間の智慧が試されることになる。

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夫人から最初の子供を宿したと知らされたときの感動を未だに忘れないでいる。それは取り返しのつかない契りを結んだ現実を突き付けられたということであり、子供という新しい縁を戴いた感動を伴っていた。未だ見たこともない未知にして広やかな世界の扉を開いた様な、命が繋がる、繋がる命、といった不思議な感覚に圧倒されていた。

それは父親である私の心模様であるが、母親である夫人の感慨は察するに余りある、というより正確には察し切れなかった。自分のお腹の中にもうひとつの小さな命、掛け替えのないわが分身が息づいているという感覚は、どう説明されても私には解らない。然し、そのような二つながらにして一つの命を愛おしむことはできたし、五体満足に生れてきますようにと祈り続けていた私でもあった。そして、生れて来た子供に無条件の愛情が湧いて来たことも事実である。父としてしっかり生きて行かなければと覚悟を新たにしたものだった。成長するに従って子供は父親にとっても確かに分身であると実感するようになった。

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二人の子の親になった私達であるが、子どもを授かり、産み、育て、共に生きて来たこれまでの歳月、そして今現在の心模様を見るに、子どもは私にとって分身ではあるが、全く別の存在者でもある。痛いほどに共感することはできるが、親と雖も、子どもの喜怒哀楽の人生を代っていきることはできない。人はそれぞれに、繋がりながらも切れている自己の命を戴いて生き切るしかない。換言するなら、それは神と共にあるということでもあろう。そのような極めて当たり前の事実に立ち帰りつつある。親も子も、共に自立しなければならない。共に、諸行無常のひとときを生き切らなければならない。それはまるで神との約束事でもあるかのようだ。

親は子供を選ぶことができなかった。子供は親を選ぶことが出来なかった。私は私の命を選ぶ事が出来なかった。本当にそうだろうか?命は神に選ばれて存在しているものではないのか。私の恣意でどうにかなったり、ならなかったりしているものだろうか。私が選んだとか、私に選ばれたといったような次元だけで済ましていいものだろうか。命とはもっと「公的」なものではなかろうか。

命は選べるのか?といった設問もまた既に生れている側の一方的な、余りにも私的な設問である。これから生れる可能性の途上にある命には設問自体が意味を為さない。選択の問題とは言いかえれば人生の意義とは何かが問われていると同義であろう。人生の意義が健常者に優先的に委ねられるものであるとするなら、そこには神も仏も必要とされていないと言っていい。

その様な社会で科学はとことん健常者の常識や欲望満足のために尽くすことであろう。もとより、人並みを願う人間らしさを笑うつもりはないが、なんだかそんな人間らしさの行く末が少し怖ろしいだけだ。






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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
折からの激しき雨に蟲集く  よし
yoshiyoshi
2012/09/20 06:31
例年のように、若い友人夫妻が奥さんの郷里の酢橘を届けに来てくれました。彼はまだ高校教師の採用試験に合格せず、非常勤で頑張っています。遠く四国から来た彼女は昨年保育園に採用されました。彼女のお腹が大きなっていました。2月の出産の予定ですと嬉しそうに、二人で顔を見合わせて知らせてくれました。妻も私も喜びました。二人とも子どもたちを真剣に慈しむ教師です。元気な子が生まれるといいね。二人が帰った後、妻と話しました。「彼らは、出生前診断を受け、それで中絶するようなことはないよね。」彼らを長く見ている私たちには、そんなことを彼らはしないという確信がありました。

2012/09/22 19:18

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