再生への旅

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zoom RSS 身の丈、心の丈

<<   作成日時 : 2012/09/30 04:51   >>

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蟷螂や振り向く貌に覚えあり 玉宗

今日は七尾市の海門寺というお寺で法話をすることになっている。
住職とは總持寺祖院で出会ってから二十五年来の知己である。祖院僧堂に私が上山した折、氏は既に押しも押されぬ古参和尚であり、当時から現在に至るまで変わらぬ心配りを戴いているお坊さんである。

僧堂でご一緒していた間も、私の足らないところを忠告してくれたり、その危うい歩みを心配して下さる先輩である。それは今でも変わらない。お坊さんとしては情の厚い御方であろう。人の心模様、心映え、心理というものを感じとれるタイプの人物である。つまり私に足らない領域を教えて下さる。

五年前に能登半島地震に被災し興禅寺は全壊した。再建に当たって当時は同じ被災者である能登の寺院に再建の勧進をすることは控えたのであるが、氏は親身になって心配し、励まし、援助して下さった。自身の兼務寺で法要に招いて下さり、再建途上である私のお話を檀家さん達にお話しさせて戴いたこともある。言ってみればよそ者である私を気遣って下さっている。
私にとってはこの世界での先輩であり、兄貴的存在と言わせて戴いてもよい御方である。その御恩は終生忘れられるものではない。

今日は教区の連合宗祖忌といって十数年に一度廻って来る大きな連合法要であり、今年国の重要文化財に指定された本尊千手観音のご開帳でもある。そのような席で私に法話を任せられたのである。
私は所謂、宗門内での「布教師」とか「説教師」といった資格も肩書きもないお坊さんである。「興禅寺住職」が唯一の肩書である。自分ではそのような肩書きさえ鬱陶しく思っている風がある。「人間・市堀玉宗」でいいではないかと秘かに憚って生きてはいる。

然し、そのような意固地な構えも不自然。人様に法を垂れるような人間ではないと思っているが、ご恩ある住職からの拝請であれば断る訳にもいかない。お坊さんとして三十年余生きてきて、一つ、二つは身に染みて気付かされたことがなくはない。常々、自己に偽らずに語ることを念頭に置いているが、今回もあるがままのわが身の丈、心の丈をお話するつもりでいる。

仏法を説くということは自己を余所に退けたり、棚上げしてすむことではない。理屈で全てが片付いたり、割り切れるものならば、お釈迦さまも、祖師方も出現されなかったであろう。半端な私であはあるが、半端なままに生きている実物をお見せするしか手立てはない。半端は半端なままで実物である。それを誤魔化すつもりもないし、実物は誤魔化すことはできない。仏道はそういう筋合いのものではないと思っている。

私がいてもいなくてもなんともない、有難い世界を提示出来れば幸いである。




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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
月愛でて酒を喰らひて今日を終え  よし
yoshiyoshi
2012/09/30 05:01
思えば「身の丈、身の丈」は若くして他界した母の口癖でした。今なら母に添って話が聴けるでしょうに…。

2012/10/01 14:59

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