再生への旅

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zoom RSS 永福寺大般若経転読祈祷法要

<<   作成日時 : 2012/10/19 04:14   >>

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椋鳥の日暮れ楽しき空の色 玉宗

昨日は永福寺の秋季恒例大般若経転読祈祷法要だった。

脇侍佛である如意輪観世音菩薩は永福寺の前身である誓願寺の遺佛である。真言宗であった誓願寺の伽藍が上杉謙信の兵に焼かれ灰塵に帰して以来、遺された仏像だけが民衆に護り伝えられて来た。百年前に門前町にあった總持寺直末の永福寺は輪島に移転し、誓願寺の遺佛をそのまま譲り受けたのである。爾来、春秋の二度、観音祭りとして近郷の信仰を集めてきていた。合併以前の昔から霊験あらたかな観音様として信仰を得て来た。能登国観音霊場三十番札所にもなっている。

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合併以前はお堂で護られていた訳であるが、何度か輪島市内を移転している。世話をする信者さんの変遷による流浪を繰り返していたのであろう。私が永福寺に入った頃は、お寺の鳳来山という裏山の中腹に立派なお堂が建てられていた。それが十年ほど前の台風で大きな損壊を受けてしまい、維持管理する事が困難になってしまった。世話人からの依頼もあり、現在の永福寺の本堂横に改修移転したのである。以後は秋の観音祭りとして年に一度般若祈祷を修行している。

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般若経による祈祷の本領は何だろうか。祈祷といえば現世利益の成就を期待する向きが一般的であろう。現世利益を嘲笑するのでも否定するのでもないが、究極の利益といったものを考えたとき、そこにはどうしても損得の欲望を越えた世界に落着する以外にないのではなかろうかという思いが私にはある。般若を転ずることによって戴き、気付かなければならない世界とは、そのような欲を越えたところに出会うための「清浄行」といったものであろう。

身を捨てこころを捨て、無心になることによって照らし出される自己、自己の命の実相、その闇と光。欲を越えた世界。現世利益という方便の向うにある信仰の深さ。自己切りの自己としそのような本物の信仰を戴き、施す。そのような信者さんがそう多くは無いのが現実であるが、ひとりでもいてほしいというのが住職の本音でもあり、精進している者の本懐でもある。

それもこれも私の「行」の真偽が試されているということである。心して生きて行かなければならない所以である。





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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
さてあれは芭蕉の風か破れ衣  よし
yoshiyoshi
2012/10/19 07:32

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