再生への旅

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zoom RSS ある狙いどころ

<<   作成日時 : 2013/01/16 04:58   >>

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灰となり龍煙のぼる吉書かな 玉宗

「おまえはどっちを向いていきているのか?」

そう自問自答する癖が私にはある。

人間らしさか?

人間らしさを越えたものか?

「何のために生きているのか?」と問われば、「世のため、人の為」と答えられるようにはなりたいものではある。しかし、お坊さんとして余りにもお粗末な自己であることも痛感している私にとって、そのような次第であると言い切るには足りないものが多すぎし、それよりなにより、世の中を見切っている様なところから中々抜け出せない私がいる。

「人の為、世の為」と言いながら、その実はお坊さんという渡世の業を重ねているだけなのではないか?
羊頭狗肉ということもある。余り見栄を張るものではない。であるならば、少なくとも「人様の為に生きている」などとは口幅ったいことではある。
かと言って「わが欲望の為に」と言いきってしまうのにも抵抗がある。腐っても「自己を超える生き方」に拘って生きているようなところがあるのも事実。

こう見えても「無私なるところ」を狙っているのである。それがお坊さんである私の辛うじての存在意義ではなかろうかと密かに自認して今日までやってきた。私にとってそれは人生の賭けであると云っても一向に差し支えない初体験のものである。

「どっちを向いて生きているのか?」

それは欲望の彼岸を問うているかのようでもある。

人間らしさか、

人間らしさを越えたものか、

越えるとはどういうことか、自問自答は尽きない。

「どっちを向いて生きているのか?」

不断に人生の再生を期す私にとって、それは畢竟、私は何のために生きていくのかと自問自答するに等しい。


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「冬座敷」

餅花の明るき部屋で泣きじやくる

繭玉や夜更けて軋む梁のこゑ

夜を支え芯まで凍つる柱かな

野兎を喰うたことさへ自慢げに

霜踏んで菜屑を畑に撒きにゆく

冬柏風も迷へるけもの道

願ひごと際限もなく餅焦がす

海に入る雪あり夜が濡れてゐる

田の神が寛ぐ能登の冬座敷

あまめはぎ星降る路地へ帰りけり

炬燵にて重くれてゐる猫が邪魔



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「女正月」

灰となり龍煙のぼる吉書かな

差義長の煤の匂ひや夕の市

わがままな妻の肩揉む女正月

大方は妻の言ひなり冬籠

口出しをせぬが身上寒卵

煮凝や夜更けて妻の帰らざる

風花や妻追ひかけて来たるかと

差義長へ放られはせぬかと怖れ

もの言はぬ妻怖ろしき炭火かな

姫始憚りながら三十年



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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
私はどのように死にたいのだろう。以前はどこで死んでもいいと考えていました。今はできれば家族の近くでと願っています。生きる目的が変わったのかもしれません。ありがとうございました。

2013/01/16 12:29
差義長が「どんと焼き」のこととは知りませんでした。勉強になります。
志村建世
2013/01/16 22:10

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