再生への旅

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zoom RSS 今日の教外別伝・師弟という関係

<<   作成日時 : 2013/01/19 04:40   >>

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頭陀袋やつれて冬も闌に 玉宗


寒行托鉢も日程の半ばを過ぎた。
寒いことは寒い冬ではあるが、北国日和定めなしといったところで、今のところ市内は大雪に見舞われておらず、降った雪もいつまでも積もっているということもない。時々風の強さに閉口しながらも比較的歩き易い毎日である。例年輪島市内はそうであるが、海からの強い風で多少吹きだまることはあっても、雪で道路が麻痺するというような事は滅多にない。冬の海風は上空の寒気より比較的暖かいということも影響しているのだろう。托鉢も今のところ気合も途切れず続けられている。弟子に負けてはいらえれないという思いが後押ししているようだ。
大した取り柄もない師匠ではあるが、まあ、托鉢と坐禅と作務だけはひとりでもなんとかやっていた後姿だけは記憶に遺してやりたい。

当たり前のことではあるが、師匠を得ることで弟子は弟子となり、弟子を得ることで師匠は師匠となる。弟子を学び、師匠を学ぶ。良き素材も良き匠に逢わなければ逸品に仕上がらぬように、愚かな師匠を持った弟子こそ哀れではある。確かにそれは師弟関係の一つの真相ではある。ではあるが、全てではなかろう。弟子は師匠を越えることによって真実弟子になり、師匠を師匠たらしめるといった志意気こそが肝要ではなかろうか。

愚かな師匠から秀でた弟子が育つと云うことも大いにあり得る。鳶が鳶を産み、鳶が鷹を産み、鳶が鷹に変身し、鳶が鳶に変身する。鳶は鳶なりに成道し、鷹は鷹なりに成道する。成道に利人鈍者は選ばない。いのちに貴賎はない。愚かは愚かで本物。賢者は賢者で本物。那辺に身を捨て心を捨て、道を得ることができるかどうか、揺るがない自己に巡り合えるかどうか、それだけが仏弟子の仏弟子たる所以ではなかろうかと思っている次第。

世の親がそうであるように、師匠という存在もまた、常に「越えられるさびしい存在」ではある。

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「冬帽子」

しんがりは犬が乗り込む船起し

海へ向く蛸壺村の虎落笛

鍋焼や力仕事を少しして

霜焼の母が恋しい父が憎らし

凍てし地球に尻もちついていと可笑し

ホステスが届けてくれし冬帽子

寒念仏信号待ちをしてゐたり

恋人へ放り投げたる蜜柑かな

頭陀袋やつれて冬も闌に

寒中を墓石のごとく過ごしをり




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ふるさとの友の打ちたる小粒牡蠣   よし
yoshiyoshi
2013/01/19 07:04

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