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zoom RSS 今日の以心伝心・同行ふたりの托鉢?!

<<   作成日時 : 2013/01/06 05:03   >>

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托鉢のしんがり梅を探しをり 玉宗

地元の北国新聞夕刊に小寒の昨日、金沢大乗寺専門僧堂の寒行托鉢が始まったという記事が載った。朝方には最低気温マイナス5.9度を記録したらしい。その大乗寺の托鉢は雲水さんふたりだけのものである。先日安居僧が3人になった記事を拙ブログでもご紹介したところだが、おそらく一人は留守番兼典座として残っているのであろう。大乗寺の寒行托鉢は昔から素足に草鞋である。慣れないうちは草鞋の紐で足を擦り切ることがあり、血を滲ませて歩いていることがある。見ている方の気持ちが凍ててしまいそうなるものだ。

少ない人数となり今回は寒行も中止になるのかと内心危惧していたが、例年通りに行持されていることに敬服の念頻りである。御開山以来七百年以上に亘って連綿と受け継がれて来た大乗寺の行持である。嘗ては「規矩大乗」と呼ばれた由緒ある僧堂。そうのような由緒に箍を嵌められることもないが、過去の行持の積み重ねに今があるのには違いない。そのような思いは安居している者誰もが抱いていることであろう。目に見えない、大乗寺の歴史に痛感する志し、そのかたちを一番身に沁み、心に沁みて受けとっているのは現場のお坊さんたちである。

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二人の行持であって、二人ではない。それぞれが「同行二人」という「行持」の豊かさ、深さの中で仏道を歩んでいる。それは彼らが意識しようがしまいが、実にそうなのである。負け惜しみと取られてもいいが、大衆の多いことなど大して自慢になることでもないと私は思っている。世の中には「烏合の衆」という言葉もある。宗門には「枯折の憂い」という戒めがある。枯れ枝に多くの鳥が止まれば折れてしまう可能性が高まると云うのである。

僧のあり様は「和合衆」というのが理想である。それは己れ空しく生きる者の当然の成り行きである。厄介な事に人間と云うものは「衆を笠に着る」といった弱さがある。「私」という「偶像」を作り上げる機会は枚挙にいとまがないものだが、どちらかと云えば「一人を慎んで生きる」より「権威を纏い、或いは纏われて」しまいがちな「集団」の中の方が作りやすいものではなかろうか。そのような有象無象の作り出す魑魅魍魎の世界。それは悪しき「和合」である。

そのような世界になんの未練も残してはならない。衆の少ないことで道を退くことはない。自己を信じ切れなくなることをこそ眞に畏れるべきであろう。頑張れ、大乗寺の雲水さん!



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