再生への旅

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zoom RSS 無常という海原

<<   作成日時 : 2013/02/10 04:26   >>

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うぶすなの杜に汚れて残る雪 玉宗

無常に私の恣意を入れるような容赦はない。無常は私の都合に頓着しない。実にあっけらかんとしたものだ。取るに足りない私という存在を無きに等しいものとし、そしてときに拒むこともない世界でもある。
歓喜の有頂天に眩しいこともある無常の世界。悔し涙に恨みたくなる無常の世界。生きている私にとって地獄でもあり極楽でもあり得る世界。ときによそよそしく、ときに微笑みかけて。無常、それは人の世の奈落ともなり、そして再生の拠り所ともなる。

人生は倒れたところに足を踏ん張って何度も起き上がることのように見えて来る。危うく、儚い無常の海原にしか私の生きてゆくという志が通じるところはない。志がなければそれは生きながら死んでいるに等しい。そのような存在者である人間にとって死とは避けて通れない最後の褒美のように見えなくはない。

私の志、それは海鳴りに掻き消されるような代物である。そうではあるが、「今」にいのちの限りを尽くし、無常の流れに任せて生きてゆく。それ以外のどこに私の生きる場所・死に処があるのというか。そして人生の意義、生きる価値といったものがそれ以外のどこに見出せるというのだろうか。

今日も無常の海原を泳いで行こう。何かに出会えるかもしれないといったささやかな夢を抱いて。まだ私には無常の沖があるようだから。


屈辱と悔恨のわがししむらを焼けば真黒き骨となるらむ 玉宗



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「初午」

初午の祠に玉子供へあり

初午を詣り足湯に浸りをり

ふるさとの路地の奥なる一の午

初午へ棚田の畔を上りけり

初午や森をへだてゝ村境

雪解けていよいよ頭悪くなる

堕落して梅の花など嗅いでをり

濡縁を濡らして消ゆる春の雪

暮れてゆく明るさ斑雪野に遊ぶ

うすらひや都へ急ぐ水の音

うぶすなの杜に汚れて残る雪

夜になほ夜の艶ある涅槃かな




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