再生への旅

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zoom RSS 眼横鼻直という生き方

<<   作成日時 : 2013/02/11 05:31   >>

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葉表に解けゆく雪のありにけり 玉宗

「眼横鼻直」という一つの生き方の典型がある。

「眼横鼻直・がんのうびちょく」とは道元禅師が自ら仰られた自己の証契即通の端的、身心脱落の道得の一つである。仏法の様子を言うのに、目は横に鼻は直なることを以って足りているという。
あたり前であることを受け入れることは迷っている者が迂闊に言うほどあたり前なことではないという現実がある。人間社会には迷っていることすら覚醒できないということがよくあるもののようだ。

仏法という何かしら有難いものが自己の外に塊のようにあるのではない。まさに自灯明として自己の分際に明らかなものであるということ。
そこを理屈ではなく、分別以前のいのちまるごとが肯ったということでもある。そのものをそのものとして目の当たりにする。一つになる。迷悟以前。凡聖以前。自他以前。比較以前。善悪以前。分別以前。説明以前。言葉以前。その様にしか言挙げ出来ないいのちの全き様子がある。

仏道はいのちの話のことである。誰のいのちか?それはだれでもない。私のいのちであり、仏道は自己の開明、決着であり、自問自答であり、よそ見をせずに真っ直ぐ自己を生き抜く、それだけの意義を人生の一大事とし、そのような生き方を引っ提げて社会へ還ってゆく。自己に決着できないものがどうして他者と折り合いをつけることが出来るだろうか。仏弟子の社会性とはそのようなものではなかろうか。

市堀玉宗という、いてもいなくても無くてもなんの差し支えのないような人間もまたそのように生きていきたいと思っている。それが私の仏弟子としての理想であり、夢である。

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「恋」

うすらひを舐めては恋を探しにゆく

日に一度間抜けな時間雪解音

恋といふ血眼となり春めきぬ

涅槃図のうしろに闇やけものめく

だれ待つとなけれどけふの春の雪

滂沱たる窓をなぞれば春の雪

はだれ野に仰ぐ夕星帰らむか

猫と生まれ已むにやまれぬ恋の闇

恋猫のどこか胡乱でありにけり

恋猫のぐいと擦り寄る下ごころ

凌辱の朝明けにけり猫の春

闇あれば闇に引かれて浮かれ猫

うつつゆく遠まなざしや恋の猫




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