再生への旅

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zoom RSS 興禅寺涅槃会・道は信を以って能入となす

<<   作成日時 : 2013/03/14 03:59   >>

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能登はまだ風に色なき涅槃かな 玉宗

昨日は興禅寺の涅槃会であった。
暖かいながら雨もよいの一日。あいにくの天候ではあったが予想以上の参拝者でにぎわった。大本山總持寺祖院から役寮さんや弟子の孝宗を含めた雲水さんのご随喜を戴き無事修行出来た。先月から続いている輪島の涅槃会法要もこれでお終いといったところである。能登も愈々名実ともに彼岸の時候が到来すると言ってよい。寒暖の差が激しい三月ではあるが、確かに春の地温が感じられる昨日今日である。

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興禅寺の涅槃図は正面左室中の床の間に掛けてある。

以前は須彌壇正面に掛けたのだが、再建なった本堂ではそれも叶わなくなった。この涅槃図は能登半島地震で伽藍が全壊した折、倒壊した瓦礫の中から探し出したもの。震災のあとに降った雨や雪の中で、瓦礫の下敷きになっていたものを何とか夫人と二人で掘りだしたのである。その時はすでの多少雨に当たってしまったあとで、色が滲んでしまっていた。表具屋に修復して貰ったのだが、どうしても滲み出た赤い色が夕焼けのように全体に残ってしまった。それでも、興禅寺にとっては唯一といってよいお寺の財産、遺産である。所謂、自治体や宗門的に指定された文化財でもなんでもないが、私たち夫婦にとっても、檀信徒にとっても、お寺にとっても、掛け替えのない財産であることには間違いないのである。

赤い、血の色のような、血の涙のような滲みがある興禅寺の涅槃図。これを見るたびに、震災に遭った日を思い出す。名残り雪の中を夫人と二人で瓦礫を掘り返していた日々。

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弟子の孝宗は冬安居が明けて油断したのか、風邪を引いたようで、マスクをしての随喜。
先日、祖院の涅槃会で見た折、薄着をしている様に見えたので心配していたのだが、案の定である。法要での所作進退が激しい雲水さんには厚ぼったい衣ではなにかと動きづらいところから、冬でも夏ものや合いもので済ますことが多いようだ。
導師のように厚着してぼてっと立っている訳にはいかないのである。回復しているとのことで、マスクをしての参加と相成ったようだ。神妙に、赤ら顔で導師である私の侍者を勤めていた。

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「行」もまた仏性である。無常なるものである。今に現成し、今に消え去り、今に再生する。いつも生もの。半端ながらも道の真っただ中なのであり、半端ながらも永遠を生きている。半端ながらも諸行無常の端的に承当しているのである。なにも妄想するに値しない。仏道というも「いのち」の話しのことだ。わたくし無ければすべてが丸く収まっている。私かぎりのそのような「いのちの行」が、切れながらも繋がっていくという奇跡がある。それを信じることが出来なくで、どうして仏道と言えるだろうか。
「信」とは私の側の都合ではない。向う側と一つになっている事実、それを「信」とは言うのであろう。仏道だけではない。それはどのような社会に於いても言えることであろう。

「信を以って能入となす」

それは「道」と「歩む」ことの一枚岩の真実を語っている。人は「信」なくして生きてはいないと言ってもいい。

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「春色」

母一人子一人春の色まとひ

どこへゆくうしろ姿やうららけし

死者送る野に出て春の色となり

裾を吹く風の色にも春めきぬ

少しだけ背伸びす雁の帰るころ

空が淵溺れぬやうに雁帰る

蕗味噌や妻に口出しせぬつもり

春鳥ほどの妻に小さな鼾あり

亀でさへ憚りながら鳴く夜かな

桃の日の道のなかばにゐてうれし




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